教員紹介

浅野春男( ASANO Haruo )教授

 セザンヌ研究をやっています。あるときにセザンヌの油彩画に感銘を受けました。そして、セザンヌの絵画の意味をとらえることを生涯のテーマと定めて現在に至っています。セザンヌを研究するためにフランス語を学び、フランスに留学し、セザンヌの生れ故郷のエクス・アン・プロヴァンスに行きました。さいきんはアトリエ・セザンヌ美術館の館長と喧嘩し、プロヴァンス大学の先生と一緒にワインをのみ、地元の作家とペタンクをして遊んだりしているので、あのひとのセザンヌ研究はどうなったのか、という印象を世間の人々に与えているかもしれませんが、ちゃんと続けていますので、ご安心ください。


(略歴)

 1950年、東京都生まれ。高校生のときに寺山修司と出会い、演劇活動を行う。20歳のころにセザンヌと出会い、美術史研究を志して学習院大学に入学し、裾分一弘教授に師事。その後、フランスのパリ第4大学に留学し、帰国してから縁あって1986年に沖縄県立芸術大学の創立にかかわり、現在に至る。著書に『セザンヌとその時代』『水の沖縄プロジェクト』 など。


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尾形希和子( OGATA Kiwako )教授

 大学でイタリア語を専攻し、大学院在籍中にパドヴァとナポリに留学、帰国後も通訳や翻訳の仕事を通して常にイタリアと日本という二つの文化間の相互理解の難しさを感じてきました。都市国家がいち早く発達し、その一方で国家統一の遅れたイタリアでは、それぞれの都市が異なる文化的・歴史的背景を持ち、人々は自身を「イタリア人」と認識する以前にたとえばパドヴァ人である、あるいはナポリ人であると認識します。こうしたイタリアでの経験も、またかつては独立国でありながら近現代に様々な国の支配下に置かれてきた沖縄にあって、「国家」「民族」「文化」などの境界について実生活の中で考えさせられる毎日を現在送っていることも、すべてが私に「境界」やアイデンティティについて意識するよう働いてきたかのようです。イタリア中世という時間・空間ともに大きく隔たる文化を研究し、なかでも特に「怪物」をテーマにしていることも、その延長上にあるのかもしれません。


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小林純子( KOBAYASHI Junko )准教授

 今から十年前の沖縄赴任以来、はじめは学生たちに教えるために、やがて自分の学問の対象として、沖縄の美術工芸に関する研究をするようになりました。もともと日本美術の「近代」を問う作業をしてきましたが、日本に属しながら本土とは異なる歴史を持つ沖縄からは、「近代」の実像がよく見えてくるのです。

 日本・アメリカとの関係の中で、自己を探し求める沖縄の近現代美術。独自の文化と亜熱帯の自然にはぐくまれた豊饒な工芸。「美術」という制度が完全に固まってはいない、渾沌として熱い美術界。だから沖縄のアートはおもしろい!


(略歴)

 東京の下町生まれ。成城大学大学院で日本美術史を専攻し、修了
後は東京都江戸東京博物館学芸員。沖縄県立芸術大学では、日本・東洋美術史のほか博物館学課程も担当していて、研究論文だけでなく、美術批評や展覧会批評、博物館や美術館に関する論評も行っています。主な研究論文や社会活動については大学サイトの教員紹介を参照のこと。最近の批評は「沖縄の内面を穿つ力 ——『オキナワTOURIST − I like Okinawa Sweet』」(『写真雑誌LP』第7号、2009年6月)、「あふれる真の姿(「移動と表現——変容する身体・言語・文化」展及び「壺屋焼——近代百年のあゆみ」展批評)」(『朝日新聞(西部本社版)』2009年2月20日夕刊)。沖縄県立の美術館についての論評は「美術館問題について大いに語る会」のサイトに全文が掲載されていますのでご覧ください。


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喜屋武盛也( KIYATAKE Moriya )准教授

 千葉県で生まれ育ち、東京都内の大学で勉強しましたが、家系を遡ると沖縄の出です。高校生のときには四つの部活に出入りし、大学ではあれこれ語学に手を出したり美術史の演習にもあれこれ顔を出したり、さらに大学院進学後に市民オーケストラに入ったりと、良く言えば好奇心旺盛、悪く言えば優柔不断なうえに欲張り、ということになります。どういうわけか、幅広い分野に業績を残すタイプの人物をついつい研究対象に選んでしまうのも、そうした博学多彩に憧れを抱いているからかもしれません。自分のことを省みるならば、結局どれも中途半端なところが情けないのですが、いまでも、あれもこれもやってみたいという学生をみると、自分のことのように応援したくなります。

 専門は、美学・芸術学です。20世紀の前半のドイツ語圏において繰り広げられた、文化や芸術をめぐる哲学的な議論を主に扱っていますが、同時代の日本の人たちが、ほとんど時差をおかずにそうした議論を咀嚼していることに驚かされます。また、テキストや資料を通して、今日では限られた人しか知らない、我々とは違う時代を生きた素晴らしい人物たちに出会うことができるのが、ある意味で私の楽しみや心の糧になっています。私が前の世代から自分なりに受け取り、そしてささやかながら新しく付け加えようとするものを、次の世代にどういう形で手渡すことが出来るのか、教室では思案の日々です。


(略歴)

 東京芸術大学、東京大学にて美学を学ぶ。専門は近現代の美学・文化哲学。20世紀前半に活躍した哲学者カッシーラーを主要な研究対象とし、「〈均衡〉としての形式——エルンスト・カッシーラーのハンブルク時代の芸術論」、「「象徴形式の哲学」と「認識の現象学」——カッシーラー哲学の基本設計をめぐって」などの論文がある。また、日本近代の美学や文化論ついても関心を広げ、この方面の仕事として、「土田杏村の文明批評」(神林恒道編、『京の美学者たち』)がある。幕張で開催された2001年の会議をきっかけに、2004(リオデジャネイロ)、2007 年(アンカラ)の国際美学会議にも参加、研究発表を行った。


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土屋誠一( TSUCHIYA Seiichi )講師

 現代の芸術というと、とかく難しいものと感じるかもしれません。実際、現代芸術は、その成り立ちの過程を理解しないとさっぱり理解できないほど、難解な「知」の体系をなしています。しかし、その難解さは、現代を生きる私たちの社会の複雑さを反映したものでもあります。ならば、今日の芸術について考えることは、「現代」そのものについて考えることを同時に意味しますし、さらには、私たち自身の成り立ちについて、深く考えることをも意味します。けれども「現代」について考えるためには、私たちが立っている「今」という時点をかたち作ってきた、様々な歴史や文化について深く知ることが必要です。

 このように言うと、「芸術」と関わること自体、難しくて面倒くさく聞こえるかもしれません。けれども、一度壁を破ってしまえば、そこには世界について深く知り、考えることの大きな喜びが待っています。芸術について考えることとは、世界を開くための「鍵」のようなものかもしれません。沖縄は、様々な歴史や文化がひしめきあう、豊穣なフィールドです。そのような沖縄に軸足をおいて、若く柔軟な感性を持った皆さんとともに、学び、思考し、混迷の現代を生き抜くためのを「知」を探求していきたいと思っています。


(略歴)

 1975年、神奈川県生まれ。多摩美術大学大学院修了。専門は近・現代美術史、写真論。2003年、「芸術評論募集」(美術出版社主催)での受賞をきっかけとして、美術批評家としての活動を開始する。執筆や関心の領域は、現代美術のほか、写真論、メディア論、サブカルチャーに至るまで多岐にわたる。論文に「平面・反復・差異 アンディ・ウォーホルの二連画について」、「戦時体制化の写真批評 瀧口修造を読む」、「デジタル・イメージ論」など。企画した展覧会に「disPLACEment——『場所』の置換」(2005年、2007年)がある。


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