芸術学専攻は平成6年11月25日に国から設置認可が下り、美術工芸学部唯一の理論専攻として平成7年4月1日に開設された。研究分野は日本・東洋、および西洋の美学・芸術学・美術史をふくむ広範なものであり、それは現在まで継承されている。

 教員定数は5名、学生定員は一学年につき6名であった。発足時の教員は、永井信一(日本・東洋美術史)、ホルスト・S・ヘンネマン(日本芸能史)、浅野春男(西洋美術史)、平山敬二(美学)、尾形希和子(西洋美術史)であった。その後、永井信一が退任し、小林純子(日本美術史)が就任した。平山敬二が退任し、後任として喜屋武盛也(美学)が就任している。学生定数はいまも1学年6名である。ただし、現在は推薦入試にて2名、一般入試にて4名の新入生を迎えるシステムになっている。

 発足時の永井信一は日本美術と東洋美術にわたる広範な知識をもって学生の指導にあたった。その温厚な性格ゆえに多くの学生たちから慕われ、永井先生とともに奈良やインドに旅行したいと願う学生も多かった。

 ホルスト・S.ヘンネマンの国籍はドイツながら日本語に堪能であり、表千家の茶道をきわめた師範である。いまは残念ながら活動を中止しているが、かつては茶道部の顧問として活躍していた。室町時代の日本文化研究を中心として、日本の大学においてもユニークな芸道文化論を展開する名物教師であった。

 浅野春男はフランスに留学したセザンヌ研究者であるが、かつては実作も試みたことがあり、その授業は創作論を中心としているところに特色があり、まさに芸術大学にふさわしい先生である。

 尾形希和子はイタリア語の専門家として出発し、のちに美術史をきわめた才人であり、中世美術をもっぱらに研究している。さらに怪物の図像的研究という実に個性的な研究課題を追及している。

 平山敬二は沖縄県においてはじめて本格的な美学を講じることになった美学者で、ドイツのシラーやカントの篤実な研究者であった。退職した平山敬二の後任である喜屋武盛也はカッシーラーの研究者として国際的に活躍するのみならず、東洋や沖縄の美学・芸術学にも視野を広げている。かたくるしい美学の枠にとどまらず、フットワークの軽い研究態度のゆえに多くの学生たちから慕われている。

 永井信一の後任として赴任した小林純子は、もと江戸東京博物館の学芸員であり、本学では博物館学課程の中心的な担い手となっている。着実な学問的姿勢は学生たちのよき手本であり、その丁寧な指導は他の教員たちからも称賛の的となっている。

 ホルスト・ヘンネマンの後任として、平成21年度より赴任した土屋誠一は、様々なメディアで活躍中の若き美術批評家である。日本やアメリカの近現代美術史を中心としつつ、広く芸術を考察する視野をもち、写真論でも先鋭な論を展開しており、沖縄の美術にも新しい刺激を与えている。

 教員は交代があったが、日本・東洋・西洋の美学・芸術学・美術史を視野におさめた教員配置は存続しており、たんに沖縄にとどまらず個別的にして普遍的な芸術学の研究と教育の場として、いまでは沖縄県立芸術大学美術工芸学部における最も重要な専攻のひとつとなっている。

芸術学専攻の歩み