私はどこにいるのか
最も肝心なのは「私がいる」という感覚である。
「私がいるとしか思えない場所に私はある」ということ、そしてその
場合、私の在り処が「私の脳とからだ」以外の場所に生じることも場合
によっては可能である。
黒い板に反射した自分自身の像は、鏡と見え方が異なる。
鏡は実際に見ている景色を反転させるのに対して、これは見たままを映して
いる。
ドッペルゲンガーの出現によって私の存在は不確かなものになる。
浮遊感 虚無感 絶望 孤独感
感じてはいけない。口を閉ざすべきである。
幸福な国、幸福な時代に生きる私は当然、幸せでなくてはならない。