沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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『沖縄伝武備志』の研究 ―沖縄空手との関わりを中心に―

氏名(本籍)
盧 姜威ろ がい(中国)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博9
学位授与日
平成23年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
『沖縄伝武備志』の研究 ―沖縄空手との関わりを中心に―
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論文要旨および審査結果の要旨
審査委員
  • 教授 波照間 永吉[主査]
  • 教授 波平 八郎
  • 准教授 高瀬 澄子
  • 学長 佐久本 嗣男
  • 教授 上里 賢一(琉球大学名誉教授)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
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  • 論文審査要旨

論文要旨

本論文は、『沖縄伝武備志』の内容についての考察を深め、その性格を明らかにするとともに、『沖縄伝武備志』が沖縄空手にどれだけの影響を及ぼしたか、という観点から『沖縄伝武備志』と沖縄空手の関連性を探ることを目的とする。
この目的に対し、まず『沖縄伝武備志』とその周辺を概観した上で、空手資料調査と『沖縄伝武備志』諸本の特徴などの分析を通して、諸本の系統関係を明らかにする。次に『沖縄伝武備志』の内容についての考察を深め、その性格を明らかにする。そして当時の社会状況等を検証しつつ、これらを総合する視点から『沖縄伝武備志』と沖縄空手との比較検討を行うこととした。

本論文は五章より構成されている。まず第一章では、先行研究等を踏まえた上で、『沖縄伝武備志』とその周辺を概観した。その結果、以下のことが明らかになった。①『沖縄伝武備志』(最良の伝本と目される「比嘉世幸本」)は、全部で約1万文字、72枚の図像から構成されていて、その内容は中国武術、特に福建白鶴拳系の事について語ったものである。一方、茅元儀の『武備志』は全部で約200万文字以上、700枚余りの図像から構成されていて、中国歴代の軍事書籍などを編纂して一大兵法書にまとめあげたものである。②福建の白鶴拳には、沖縄空手と同一の型名称がみえる。このことから、福建の白鶴拳と沖縄空手とは何らかの形で関連している。

第二章では、文献資料の調査と聞取り調査を通して、『沖縄伝武備志』の諸本を洗い出し、その特徴を分析して、系統別に整理した。その結果、『沖縄伝武備志』の諸本には4つの系統があることがわかった。これまでに披見を許された筆写本と発表・公刊された活字本を検討した結果、それぞれの筆写本間には誤写・語句の欠落などがあること、活字本には項目の入替など構成上の改変が施されるなど、問題があることもわかった。また、『沖縄伝武備志』は、師から弟子(一部は親交のある空手家同士)へと受け継がれる「師子相伝」の伝本で、1930年を境に流布し始めたことを明らかにした。

第三章では、『沖縄伝武備志』の諸本の異同をおさえながら、「比嘉世幸本」を底本として『沖縄伝武備志』の本文を活字化し、句読点などをつけて、校訂を加えた。そして、辞典・武術書・医学書などを駆使して、全内容にわたり読み下し、通釈、語釈などの注釈研究を行い、『沖縄伝武備志』に書かれている内容を明らかにした。

第四章では、『沖縄伝武備志』について考察を行い、『沖縄伝武備志』の特徴や性質を明らかにした上で、『沖縄伝武備志』と沖縄空手の関連性を探った。その結果、以下のことが明らかとなった。①『沖縄伝武備志』は王缶登が語ったことを、その弟子が記録したものである。②『沖縄伝武備志』は単純な漢語によって書かれたものではなく、福州方言を混じえて書かれた漢文文献である。③『沖縄伝武備志』には、沖縄空手の型名称・技法がみられる。また、白鶴拳は飛鶴拳・闘鶴拳・遊鶴拳の三種類の拳術に分類されている。④『沖縄伝武備志』は、武術の鍛練法などについても記述しているが、鍛練上の傷を手当するための治療法・製薬法などについて記述した分量は『沖縄伝武備志』全体の半分以上を占めている。⑤沖縄空手道場に祀られる『沖縄伝武備志』出自の武神「九天風火院三田都元帥」は、道教の神様で、福建と台湾を中心に信仰されている。福州地方においては、梨園界と武術界から「会楽宗師」と尊称され、信仰の対象となっている。

第五章では、前章までに明らかにされた『沖縄伝武備志』と深く関わっている近代沖縄空手を概観し、空手が正課体育として学校教育に導入されることによって、「門外不出」の武術として限られた一部の人達によって行われていた空手が、学校生徒をはじめ、農村にも浸透するようになったこと、また、1921年頃の空手の大家達による研究活動、1925年の「沖縄武道協会」の設立、1930年の「沖縄県体育協会」の創立、1933年の「大日本武徳会」の空手の認可、1936年の「名称を空手に統一」するなど空手界の発展期と、『沖縄伝武備志』の流布が重なりを見せていること、などを指摘した。

以上各章で指摘したように、本論文を通して、『沖縄伝武備志』と沖縄空手の関連性が明らかとなった。近代沖縄空手界においては、拳法の理論書としての地位・性格を『沖縄伝武備志』に求めていたことが窺える。

『沖縄伝武備志』と沖縄空手との技術的な関連性をより明らかにするためには、技法の比較・検討が重要な課題となってくるであろう。『沖縄伝武備志』には沖縄空手と同一の技法があることを、本論文の第三章・第四章で指摘したが、今後、それを展開する研究を目指したい。

英文要旨

A Study of Okinawa’s Bubishi:
Mainly Relations with Okinawan Karate

This thesis aims to deepen the consideration of the content of Okinawa’s Bubishi, to clarify its character, and to explore the relationship between Okinawa’s Bubishi and Okinawan Karate from the viewpoint how much Okinawa’s Bubishi has influenced Okinawan Karate.

This thesis is composed of five chapters.

Chapter 1 took an overview of Okinawa’s Bubishi and related areas after having surveyed the previous research. As a result, the following became clear. Okinawa’s Bubishi is composed of about 10,000 characters and 72 diagrams, and the content is about Chinese military arts, especially the Fujian Baihequan system. In contrast, Mao Yuanyi’s Bubishi is composed of over two million characters and over 700 diagrams, and is a compilation of Chinese military books from successive periods into one large strategy book.

In Chapter 2, various versions of Okinawa’s Bubishi were dug up through the investigation of document materials and interviews, the characteristics of each were analyzed, and they were arranged according to their lineages. As a result, it has been discovered that there are four lineages of versions of Okinawa’s Bubishi. Moreover, it was determined that Okinawa’s Bubishi only began to circulate it in 1930.

In Chapter 3, comparing the various versions of Okinawa’s Bubishi, the Seikou Higa book was concluded to be the original text. The main text of Okinawa’s Bubishi was printed, punctuated and revised, and the content of Okinawa’s Bubishi was clarified.

In Chapter 4 the characteristics and the properties of Okinawa’s Bubishi were clarified, and then the relationship between Okinawa’s Bubishi and Okinawan Karate was explored. As a result, the following became clear. ①Okinawa’s Bubishi is a record of Wang Gangdeng’s talks transcribed by an apprentice. ②Okinawa’s Bubishi is not written in simple Chinese, but instead is written in Classical Chinese mixed with Fuzhou dialect. ③ Names of Kata and techniques of Okinawan Karate appear in Okinawa’s Bubishi. ④ The description of therapeutic and pharmaceutical methods occupies more than half of Okinawa’s Bubishi. ⑤The deity enshrined in the Okinawan Karate dojo, Jiutianfenghuoyuan Santiandu Yuanshuai, comes from Okinawa’s Bubishi and is a Taoist god believed in Fujian and Taiwan. In the Fuzhou area it is called Huiyue Zongshi in the fields of theatre and martial arts.

Chapter 5 took an overview of the spread/development of karate in modern Okinawa. It was pointed out that the development period of karate overlapped with the circulation period of Okinawa’s Bubishi.

The relationship between Okinawa’s Bubishi and Okinawan Karate became clear through this thesis as pointed out above in each chapter. It is possible to see that modern Okinawan Karate found in Okinawa’s Bubishi its position and character in terms of a theory book on kenpo.

The comparison and the examination of martial arts’ techniques will be an important task to elucidate the technical relationship between Okinawa’s Bubishi and Okinawan Karate.

中国福建省出身の私ですが、「久米三十六姓」先人達の足跡を辿るように、12年前に自然・文化の豊かな「球陽之地」沖縄へやって来ました。沖縄に来てから、縁があって空手と出合い、そこで初めて空手は日本本土ではなく、特殊的な地理に位置する沖縄が、多様な文化を吸収して新たに創り出した世界に誇れる文化の一つであることを知りました。以来、空手に強い関心を持つようになり、本格的に理論と実技の両面から空手の研究を志すようになりました。しかし、周知のように空手についての専門的な大学・研究機関が存在せず、一時期夢を諦めようとも考えていました。幸い本研究科の波照間永吉教授が分野を越え指導してくださった御蔭で、大難なく博士論文を書き上げることができました。

本研究科に在籍する学生は、それぞれ異なった研究テーマに取り組んでいて、互いに刺激しあったり励ましあったりしています。私が「知ることの喜び」を知ったのも、本研究科の仲間達の御蔭だと思います。

論文審査要旨

本論文は、沖縄空手界にあって長く秘伝の書として語られてきた『沖縄伝武備志』を取り上げたものである。『沖縄伝武備志』についてはいくつかの解説や注釈書が出ているが、なお部分的であるとか、不正確であるとかの問題を抱えていた。これに対し本論文は、『沖縄伝武備志』を正面から取り上げ、その文献としての性格、内容、沖縄空手との関係について明らかにしている。そして近代期における沖縄空手の普及についても、空手研究文献や新聞資料を駆使して、より客観的に解明しており、高く評価できる。

本論文は5章からなる。第1章は「『沖縄伝武備志』と周辺の概観」と題して、単に「武備志」と呼ばれてきた同書が、中国における武備について記した大著・茅元儀の『武備志』とは全くの別物であることを明らかにする。そして、『沖縄伝武備志』冒頭に記される「白鶴挙」について、南中国における起源伝承を資料に即して説明し、この文献の誕生について自説を展開している。

第2章は「『沖縄伝武備志』諸本の系統関係」について論じたものである。本章は本論文の眼目とみられる章である。ここで著者は、現在伝えられる『沖縄伝武備志』には4つの写本の系統があり、これから派生した諸本(写本・活字本)が47種あることを明らかにする。そして、これを4つの写本の系統ごとに整理し、その系譜関係に基づいてその文献としての特徴を説明している。また、この本に「武備志」の名称をつけたのは、1934年刊行の摩文仁賢和活字本からであることも明らかにしている。これらは文献学的な手続きによるものだが、『沖縄伝武備志』の諸本について、これだけ系統立てて明らかにしたのは本論文が最初である。『沖縄伝武備志』研究の最新の成果と言ってよい。これを明らかにするため、各流派の長老・大家をたずね、所蔵するところの伝書の披見をお願いするという努力は、この書物が秘伝の書であってみれば、その苦労は並大抵のことでなかったことは容易に想像できる。その苦労の甲斐あって、見事にその諸本の関係が整理されたのである。

第3章は「『沖縄伝武備志』の解釈」と題して、現存する『沖縄伝武備志』の中で最良のテキストである「比嘉世幸本」を底本として、全29項目・1万文字の文章、72枚の絵図すべてをとりあげて解説した。その作業は、先ず本文を翻刻し、読み下し文を付け、これを通釈する。さらに、用いられた各語について語釈を丁寧に施し、諸本間に校異のある場合にはそれを明らかにするという精密なものである。また、『沖縄伝武備志』の後半部を占める漢方薬関係の記事および薬草の解釈については、現在も中国福州において取り入れられている漢方の知識を援用して説明を展開している。これらの作業によって、本論文は『沖縄伝武備志』全体を細密に検討するということを成し遂げ、これまでの『沖縄伝武備志』研究を大幅に塗り替えるものとなっている。

第4章は「『沖縄伝武備志』と沖縄空手の関連性」と題した章で、『沖縄伝武備志』の成立問題、『沖縄伝武備志』の言語表現と構成の特徴、『沖縄伝武備志』にみる白鶴挙と沖縄空手、そして『沖縄伝武備志』に登場する「九天風火院三田都元帥」についての論考を展開している。結論を述べると、『沖縄伝武備志』は成立の地を特定することは出来ないが、中国福州藤山出身の王缶登の言を弟子が記録したものであろうこと。『沖縄伝武備志』の表現には単純な漢語表現のみならず白話の表現が見られるほか、福州方言でしか解釈できない表現、同音異義の文字(福州方言の当て字)などがかなりあること。『沖縄伝武備志』にあらわれる白鶴挙には飛鶴挙・闘鶴挙・遊鶴挙の3種のあること。沖縄空手の型の名称には不明なものが多い中にあって、『沖縄伝武備志』の中にそれと重なるものがあること。「九天風火院三田都元帥」は現在も沖縄空手界において信仰される神であるが、これは中国福州において芸能と武術の神として信仰されているものであり、これが『沖縄伝武備志』に記され、神として祀られるようになったこと、などを明らかにした。特に「九天風火院三田都元帥」については、福州におけるフィールドワークによってその存在を明らかにしたものであり、注目される。

第5章は「近代沖縄“空手”の普及発展」と題して、空手がその名称を“空手”と統一され、その後どのように普及発展してきたかを文献と新聞資料によって明らかにしたものである。従来の空手の歴史的研究は、名人・大家の伝記や武勇伝などの伝聞を中心として展開されてきたが、これをより実証的な研究とするため、同時代資料である約3000にのぼる空手の文献資料と新聞記事を博捜して組み立てたものである。結論として、沖縄空手が近代期に普及・発展していく背景には、中等学校・師範学校などにおける科目としての採用があるが、それは日本の富国強兵政策と軌を一にするものであることを実証的に明らかにしている。

以上のように、本論文は『沖縄伝武備志』という沖縄空手界において秘伝の書とされた書物の研究を中心とするものである。この書物の基本的性格と、諸本の系統を明らかにし、それぞれの特徴を調査した。そして、全記事をつぶさに検討し、文章については全文を通釈、語釈も施した。そして『沖縄伝武備志』と沖縄空手の関連性についても、現在明らかにしうる点については細大もらさず明らかにしている。これらから本論文は、『沖縄伝武備志』についての最新・最大の研究として評価できる。これだけの研究成果を挙げえたのは、著者(盧 姜威君)が福州出身であり、空手の実技者であることもまた大きな力となったはずである。

ところで、本論文はこのように評価されるのであるが、若干の改善すべき点がある。その一つは、『沖縄伝武備志』の成立になお謎の部分が残っていることである。すなわち、仮に福州で成立したとして、それがどのような経路をたどって沖縄にもたらされたか、ということ。何故この本が現在まで伝わり残ってきたか。その背景には漢方の知識への必要性がなかったか、ということなどが疑問点としてある。また、全体として、第1・2章と第4章とは連続して配置した方が論述としてはより適当でなかったか、という問題もある。また、第5章は近代以降から戦前期に時代が限定されているが、これを近世期から現代にまで広げて沖縄空手史を構想する必要がある。これについては大きな課題というべきだろうが、このような構想についても一言すべきであったと思われる。

当学位論文審査委員会では本論文について以上の通り審査し、本論文を博士の学位を授与するにふさわしいものと判断した。

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