沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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南島歌謡にみる“もの”と表現の研究―『おもろさうし』を中心に

氏名(本籍)
大竹 有子おおたけ ゆうこ(岐阜県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博6
学位授与日
平成23年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
南島歌謡にみる“もの”と表現の研究―『おもろさうし』を中心に
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論文要旨および審査結果の要旨
審査委員
  • 教授 波照間 永吉[主査]
  • 教授 尾形 希和子
  • 教授 波平 八郎
  • 教授 狩俣 恵一(沖縄国際大学教授)
  • 教授 大城 學(琉球大学教授)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • 論文審査要旨

論文要旨

南島歌謡は、奄美・沖縄の先人たちの思いを現代の我々が直接感じることができる手段のひとつである。本論文では、まずは南島歌謡の表現者たちの意識を“もの”という概念を通じて、できるかぎり洗い出すことを目的とした。

本論文で用いる“もの”という概念とは、形を持ち、手などで触れることができ、名詞形の語彙によって表されるもの全般を指している。具体的な対象として、自然物としては「動物」・「植物」・「天文」・「物質」・「身体」、人工物としては「物資」・「食物」・「服飾」・「建築」・「道具」の計10のカテゴリーを設定した。分析の手段として“もの”の語彙をテキストから抽
出し、エクセルを用いてデータ化した語彙表を作り、これに基づいて分析を行った。

第1章では『おもろさうし』の語彙表について、上記の各カテゴリーのうち動物・服飾・道具・天文を中心として、語彙表のデータの俯瞰的な結果をまとめた。
第2章では個別の“もの”に注目したテーマを立てた。すなわち、『おもろさうし』における「水」と「玉」という2つの“もの”に注目し、表現や歌謡における役割を分析した。祭祀歌謡というオモロの性格上、当然の結果ではあるが、両者とも王が支配の霊力を更新するために用いられ、神女の宗教的権威もしくは支配力の寄り代としての役割が与えられる事例が最も多い。オモロにおいては霊力を持つ聖なる“もの”としての側面が基本的な性格といえる。

第3章では“もの”語彙の言語表現の面に注目した。第1節では、特定の歌謡あるいは歌謡に登場するモチーフに“もの”語彙が集中的に登場することに注目し、その“もの”語彙の役割を考察した。第2節では、“もの”語彙の修辞的側面に着目した。南島歌謡では形容部分の一語名詞化(「目眉清ら」・「愛し」など)が行われ、また言い換え表現による対語・対句によって表現が展開していくことはすでに指摘されてきた。ここでは事例を検討し、『おもろさうし』における語彙レベルの修辞は、主に言い換えと美称にまとめられることを指摘した。
第4章では“もの”語彙の表現や歌謡における位置づけから、歌謡の表現者たちの価値観や世界観を考察した。第1節では『おもろさうし』を中心とした古謡の色に関する語彙を概観した。南島歌謡にみられる色彩は、白・赤・黒・青の計4色である。ほかに「いろ(色)」を含む複合語(「桜色」・「鏡色」など)についても検討した。これらは語義としては色彩であっても、対象を讃美する心意を基底とした美称としての意味が強い場合が多く、写生的描写というよりも、表現者たちの美意識の一表現である。
第2節では、歌謡における想念の表現をまとめることを試みた。特に祭祀歌謡や信仰に関わる歌謡・呪言には、実際の風景・出来事と共に、表現者たちの想念の中の風景・“もの”が描写されている。こうした想念の表現について、祭祀道具のように実在する道具とそれに伴うと考えられた霊力、表現者がイメージする他界に存在する、つまり現世には実在しない“もの”について、歌謡から事例を引用しながら整理した。
第3節では「生まれ」というキーワードに注目した。南島歌謡における人物(あるいは神)描写には、誕生時や生来の資質を「生まれ」と称して描写し、しばしば讃美するという常套表現がみられる。このことと生産叙事などの“もの”に注目する歌謡を見比べ、斯界に命や形を得る過程や資質が重視されることを考察した。

第5章では、身体の表現に注目した。生体であって“もの”とは一見無関係な身体(主に人間)の表現と“もの”語彙の関係を考えることで、有形と無形の“もの”の相関関係を指摘した。

第1節では「身体の美意識」として、南島歌謡において美しいとされる容貌や身体の描写を、“もの”としての視点からまとめた。表現の類型として、主観的な描写(例:美しい)、客観的な描写(例:年若い)、「烏賊の甲のように色白」のような比喩による描写、光りや香りなどの自然現象を伴う描写、の4つに分類した。これらについて事例を引用し、南島歌謡に表された美意識の一端としてまとめた。

第2節では、身体の語彙とともに、身体に変調を来す場合の描写をまとめ、今でいう健康の概念や、病気・妊娠・疲労といった事例の表現を概観した。予祝・病気祈願の呪詞・物語歌謡・疱瘡歌など、身体の変調は多くの歌謡ジャンルにみられるが、各々の歌謡の形式や意図を象徴的に表していることを指摘した。

終章では総括として、“もの”が言語としての表現を通じて、表現者たちの価値観を端的に表すことを確認した。もとが有形である“もの”は、表現者たちの視覚・美意識というフィルターを通ることで表現者たちの世界観をまとった言語表現として再生し、さらに歌謡の中で祭具や実用品あるいは美称といった役割を得て登場している。色彩や想念などの無形で不可視の世界を考察する際にも相互に関係していることを指摘した。

英文要旨

A Study about mono and Expressions of them in Old Ryukyuan Poems
– with a Focus on the Omoro-saushi

The main focus of this research has been on the notion of mono (roughly translated as material culture in anthropology) found in old Ryukyuan poems and how various forms of mono were expressed, described and explained in relation to other aspects of human life in this particular literary genre. I use various methods of literary analysis and cultural analysis.

Two texts were analyzed: The Compilation of Old Ryukyuan Poems (Hokama Shuzen et al. eds. 1978〜1980) and the Standard Text Omoro-saushi (Hokama Shuzen and Hateruma Eikichi eds. 2000). I collected all mono vocabulary from the texts and established ten categories of mono. The details of categories are as follows. As natural resources I established the categories of animals, plants, materials, astronomical and the body. As artificial goods, I established the categories of commodities (collective nouns), food, architecture, furnishings, and tools.

In chapter one I conducted analysis focused on vocabulary from Omoro-saushi. In particular, I focused on the animal category (section one), the furnishings category (section two), and the astronomical category (section three).

In chapter two I especially focused on two sets of mono vocabulary. In section one I examined various forms of expressions associated with water. It was discussed that, in the Omoro-saushi complied by the Kingdom/state, water was believed to be exerting spiritual power or vital support for life, and it was an epitome of expressions for “guarding the kingdom/state”. In section two I analyzed the meanings and implications of “TAMA,” a fetish ritual tool/jewel/ornament depicted in the Omoro-saushi. It was argued that the magical power and rarity of TAMA provided legitimacy and religious authority for the king.

In chapter three I discussed literary expressions of mono vocabulary. In section one I focused on the phenomenon that concentrated on specific poems: epics about production. Epics about production praise the origin of mono (tools), and emphasize the force of tools. The role of mono vocabulary at Epics about production is stressing the purpose, by repeat the name of mono. In section two I focused on the rhetoric of mono vocabulary. Ryukyuan poems often make use of one-word descriptions, antitheses, and antonomasia. Rhetoric in mono vocabulary of the Omoro-saushi is mainly antonomasia and praise.

In chapter four I considered the sense of values and the world view in mono vocabulary. In section one I focused on color expressions. In the Omoro-saushi the main colors which appear are white, red, black and blue. In a number of cases, colors expressed praise and were not confined to referring to real color. In section two I discussed “imagined worlds” and “real worlds” in old poems. There are a lot of expressions about imagined mono (tools), both tools which exist only in the producer’s imagined world, and real tools assigned magical power. In section three I focused on umare (birth). Old poems and the Omoro-saushi lay stress on birth or origin, and this is a common point of the expressions about humans and mono.

In chapter five, I especially focused on two themes concerning bodies: “Bodily Expressions and the Sense of Beauty”, and “Body and Bodily Changes (including illness, pregnancy and fatigue)”. I extended the notion of mono to analyze words depicting the tangible human body and the intangible relationships between human body and physiological phenomena such as illness and pregnancy.

In the concluding chapter I explain the relationship between mono vocabulary and the sense of values and world view of the inhabitants of the old Ryukyus.

論文審査要旨

本論文は、南島歌謡(奄美・沖縄・宮子・八重山の4つの諸島で伝承されてきた歌謡)を題材に、そこに表れる“もの”をあらわす言葉から、南島人の想像力や文学表現の特質を究明しようとするものである。

このテーマに取り組むため、著者は『おもろさうし』に表れる“もの”をあらわす全語彙の索引を完成し、さらには南島歌謡を集成したテキスト『南島歌謡大成』(全5巻)所出の“もの”語彙の索引の作成をおこなった。この膨大な量の作業をこなすことによって、南島歌謡をつぶさに読み込むという基礎作業が綿密に行われた。これによって、外間守善・池宮正治・玉城政美・波照間永吉・島村幸一などの先行研究の及ばなかった微細な点まで視線を到達させ、論述を展開していることをまず評価したい。

本論文は全6章よりなる。各章の表題は以下の通りである。第1章「“もの”語彙の俯瞰的分析―『おもろさうし』の事例を中心に」、第2章「“もの”表現と役割の詳細」、第3章「“もの”語彙と表現」、第4章「“もの”と価値観・世界観」、第5章「“もの”としての身体の表現」、「終章」。それぞれの章は2節〜4節で構成され、分量的にも大部のものとなっている。

本論文のキーワードは“もの”であるが、これは「形を持ち、手などで触れることができ、名詞形の語彙によって表されるもの全般を指している」。具体的には、これを自然物と人工物に大きくわけて、前者には動物・植物・天文・物質・身体、後者には物質・食物・服飾・建築・道具のカテゴリーを設けて、語彙を分類した。このような“もの”をあらわす語彙によって文化と言語表現のあり方を研究する方法は近年見られるようになったもので、南島歌謡研究としては初めての試みである。

第1章では、『おもろさうし』における動物(馬・鳥・犬・牛・蝶など)・服飾(衣装・馬具・武器・小間物など)・天文(太陽・月・雲・星)・その他(植物・身体・物質・食物・建築・道具など)を中心として、これらのカテゴリーの“もの”がどのように謡い込まれているかを解明した。その結果、『おもろさうし』では祭祀や政治に関わる“もの”がどのカテゴリーにおいても、多数の事例や言い換え表現を持つものであることを指摘している。これは祭祀歌謡オモロが“もの”語彙のレベルにおいてもその基本的性格を明確に示すものであることを証するものであり、オモロの性格をいよいよ明確にしたものと評価される。

第2章では第1節「『おもろさうし』にみられる水に関する語彙」、第2節「『おもろさうし』における玉について」で、水と玉を取り上げて論じた。前者は人間の生活に必須のものであり、後者はオモロ人の宗教生活とは不可分のものである。その分析の結果、『おもろさうし』では両者とも王が支配の霊力を更新する為に用いるものとなっており、カミの宗教的権威と支配の依りしろとして機能している事例が最も多く、オモロにおいては霊力を持つ「聖なるもの」として存在していることを明らかにしている。

第3章では“もの”語彙の言語表現に着目して、第1節では「叙事歌謡における“もの”の類聚表現」について生産叙事歌を中心に論じた。ここでは、特定の歌謡あるいはそこに登場するモチーフに“もの”語彙が集中的に登場することに着目して、その“もの”語彙の役割を「予祝あるいは幻視の理想状態の復元という、生産叙事の目的の核心を象徴的に表す」ことと指摘している。そして、“もの”の類聚表現は、歌謡の主眼をそれによって象徴させるという、南島歌謡の表現の一つの特徴であると結論付けている。

第2節では『おもろさうし』を中心として南島歌謡の修辞について論じ、『おもろさうし』の修辞は「言い換えによる美称」が最大の特徴であることを明らかにしている。そして、多くの言い換え表現を持つ語彙は、ほとんどが祭祀の場や道具であり、これはオモロが古謡と同じ源から発しながら、「王府(権力)が求める霊力に対応するために、古謡から一歩進んだ表現を産出した」結果ではないかと、新しい見解を提示している。

第4章では“もの”語彙の表現から、歌謡における表現者達の価値観や世界観を考察している。第1節では「“もの”語彙における色の表現」を論じているが、取り上げられた色は白・赤・黒・青である。これらの色の表現から、南島歌謡にあってはこれらの色が基本色であること、これらの色は色彩を写生的に表現するのではなく、美称や擬態の表現方法の一つとして使われていることを明らかにした。第2節では「南島歌謡における想念と実景」、第3節では「南島歌謡における『生まれ』の意味」について論じた。これらの節では南島歌謡にあらわれた南島人の世界観と想念、「生まれ」を重視する南島人の意識が歌謡の中で定型的な発想として表現されていることを指摘した。いずれも、これまでの研究が正面から取り上げることのなかった、想念や意識の問題が歌謡表現の中でどのように展開されてきたかを明らかにしようとする、意欲にあふれた論考である。

第5章では「身体」をめぐる表現を取り上げて論じている。第1節では「南島歌謡における身体と美意識の表現」、第2節では「南島歌謡における身体とその変調に関する表現」を取り上げている。いずれも南島歌謡全般に素材を求めて、南島における人間の身体をめぐる美意識と、身体の変調がいかに呪詞や歌謡で表現されてきたかを明らかにしたものである。前者については、祭祀歌謡においては対象賛美の精神の存在を特徴とすること、叙事・抒情歌謡においては対象に対する意識の多様さから、様々な表現が胚胎してきていることを明らかにしている。後者についても、身体の変調を呪的な行為によって乗り越えようとする場合が多いことから、その表現にも「目立った修辞や形式が確立されていない」などの一定の方向性のあることを明らかにしている。

「終章」では以上の各章で展開したことを以下のように総括している。すなわち、“もの”が言語としての表現を通じて、表現者達の価値観を端的にあらわすこと。もとが有形である“もの”は、表現者たちの視覚・美意識というフィルターを通ることで表現者達の世界観をまとった言語表現として再生し、さらに歌謡の中で祭具や実用品あるいは美称といった役割を担って登場すること。そしてこれは、南島人の有して来た色彩や想念などの不可視の世界を表現する場合にも、相互に関わるものとしてあること、などである。

本論文は、このように南島歌謡に現れる“もの”を表す語彙とその表現を詳細に追求することによって、南島人の意識と言語表現の問題に深く迫ることが出来ている。これはこれまでの南島歌謡研究が部分的にしか展開できなかったことであり、本論文はこれを“もの”語彙とその表現という一つの観点から成しており、評価できる。表現に忠実に寄り添いながら、抽象的になりがちなテーマの追求に対して用例によって明らかにする立場を堅持して取り組んでいる点も大切である。南島歌謡を表現論的に論じた研究は少ない。その意味でも、本研究は今後の南島歌謡研究に新しい局面を充備するものといえる。本論文の随所に示された文学研究者としての知識と素養は、研究のさらなる展開を可能にするものと期待される。

本論文についてこのように評価するものであるが、なお問題点もある。特に第4章・5章の各節について、“もの”語彙とこれらの節のテーマとの関わりが、著者の思うほどには明確ではない。これは“もの”の概念規定とテーマ設定について十分に説明する必要のあることを示している。また、これらの節においては結論を急ぐ傾向がみられ、論証が不十分のようでもある。これは考察が不徹底であることの裏返しでもあり、問題に対するアプローチが単線的であることに起因している。もっと周到な論理の展開と例証が求められる。これらについては「終章」をきっちりと書き込むことである程度は克服できたかもしれないが、その「終章」も駆け足になっており、問題解決には至っていない。また、南島歌謡にあらわれる“もの”は祭祀習俗の中など、現在も確認されるものが多い。それにもかかわらず、論述のなかに民俗を正面から取り上げ、論述に援用することがなかったことは大きな欠点である。民俗事象を加味することによって、本論文の叙述はさらに厚みを増し、論述も説得的に展開できたものと思われる。されにいえば、図像・写真などを取り入れることによって、記述内容がより分かりやすくなるよう努力すべきである。また、歌謡の解釈に問題のある箇所も散見される。これらの難点を克服して欲しい。

当学位論文審査委員会では本論文について以上の通り審査し、本論文を博士の学位を授与するにふさわしいものと判断した。

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