Read Article

「群写真」論――東松照明の方法と思想

氏名(本籍)
北澤 周也
きたざわ しゅうや
(東京都)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博30
学位授与日
令和6年9月26日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
「群写真」論――東松照明の方法と思想
ダウンロード
審査委員
  • 教授 喜屋武 盛也
  • 教授 尾形 希和子
  • 教授 久万田 晋
  • 准教授 土屋 誠一
  • 倉石 信乃(明治大学大学院理工学研究科建築・都市学専攻総合芸術系 教授)

論文要旨

本論は、東松照明が「写真を組む」方法として提唱し、実践した「群写真」という方法論の変遷から、その意義を明らかにすることで、戦後日本写真史における東松の位置付けを明確にする試みである。対象とするのは、写真集の刊行を活動の主軸とした1990年代末までの作品である。写真集に注目することは時代や主題ごとに形式を更新してきた「群写真」の比較検討にとっても有意義であると考える。

「群写真」は、複数の写真を一見してアトランダムな「群れ」として提示する手法である。この手法が目指すのは、個々の写真がもつ個別的な情報や意味内容を相互的に掛け合わせてゆくことで、新たなる意味の発生を促しつつ、写真相互の結合を網目状に展開させることである。このような発想は、戦前から戦中にかけて隆盛を極めた「報道写真」における写真の組み方――複数の写真と文章を一方向的な物語に沿うように並べ、そのままに読み手に読解させる「組写真」に対する批判に由来している。写真家の定めた正解にむけて読者を誘う組写真に対して、「群写真」は、複数の写真のさまざまな関係性から不可避に生じる恣意的な意味の読み取りを鑑賞者に許すことで、写真群を自由に「読んでいる」という幻想を抱かせつつ、その果てで、どうしても読み取り得ない残滓に気づかせ、そうすることによって「全体の方向性」を、いわば、ひとつの場として表象する編集技法である。

本論では、この場としての「全体の方向性」を、各写真集における個別的なテーマを表象することにのみ寄与するものではなく、その背後に見え隠れする「戦後日本」や「原初的な日本」の影、そして、その集合体であるところの「日本‐国家」の不明瞭かつ流動的な境域へと視線をいざなうベクトルと解釈する。いいかえれば、群写真とは、日本国を「群」として捉え返すためのレトリックなのである。

「群写真」に関する先行研究では、1960年代の初期作品が分析の対象とされてきたが、60年代末期以降には、先行研究の成果だけでは十分に説明がつかない作品が数多く存在する。

たとえば東松が初めて沖縄を訪れた年に刊行された写真集『OKINAWA沖縄OKINAWA』(1969年)に見出される説明的な告発文章と沖縄闘争を中心にした当時の沖縄の現状を写した写真との並置は、形式上、まさに組写真様のものでありながらも、興味深いことに東松は、この写真集を「群写真」を説明するために最も適当な好例として紹介しているのだ。見方によっては名取的な組写真ともみられかねない本書を以て「群写真」の好例とする東松の見方は、この写真集が、「群写真」の展開を踏み込んで検証するうえで重要な鍵となるものであることを物語っている。

また、70年代の『太陽の鉛筆』(1975年)や『光る風―沖縄』(1979年)などの沖縄・先島諸島から東南アジアまでの連なりを視野に入れ、群島の島嶼性を写真集に表象する試みは、沖縄が直面する現実を擬似現実へと改変させて拡散する暴力的な方法であるとして、今なお批判を受ける対象となっているが、そうした批判の存在は、自由な読みを許すことで「全体の方向性」に気づかせる「群写真」の意義をアイロニカルに証明する決定的な事例であったということもできるだろう。

1980年代の丸10年を費やして撮り続けた桜をまとめた『さくら・桜・サクラ』(1990年)は、一般に「日本」的なるものへの回帰として語られることが多いが、沖縄や東南アジアに日本の古層を見出そうとした東松の眼差しが桜や京都という主題へと向いたことは至極自然なことであり、そうであるとすれば本書は、70年代の沖縄という主題との連続性のなかでこそ捉えられるべき作品ではないかと考えられる。さらに、本書で述べられた「集合の美」ゆえに桜は美しいという東松の言表は、「群写真」を「星雲状の塊」あるいは「マッス」と表現したこととも連関づけられるゆえに、80年代における「群写真」の展開を示す重要な指標となる。

90年代の主だった作品には、60年代の初期作品からの連続性が強く見出される。60年代に「群写真」と併せて相互補強的に用いられた「インターフェイス(境界)」概念に基づいて、海と陸地との境界地帯を撮影した〈潮間帯〉(1966年)や、絵画的構図の〈アスファルト〉(1960年)からの展開として、被写体を変えてカラーで写された《プラスチックス》(1988−89年)、《キャラクター・P》(1996−98年)など、60年代作品からの展開を示す作品が多数制作されており、年代を越えた作品の類似的な連なりがそこに見出される。

以上に示したような、およそ60年代から90年代までの東松の具体的な仕事を、まさに「群」の如くネットワークとして捉え返すことで、「群写真」が如何なる変遷を辿り、更新されてきたのかを検証し、「群写真」の新たな見取り図を提示する。

Return Top