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琉球国の祭祀儀礼道具の研究

氏名(本籍)
上江洲 安亨
うえず やすゆき
(沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
論文博士8
学位授与日
令和5年3月17日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
琉球国の祭祀儀礼道具の研究
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審査委員
  • 教授 森 達也
  • 准教授 鈴木 耕太
  • 教授 當眞 茂
  • 麻生 伸一(琉球大学教授)

論文要旨

琉球国では、年間を通して、さまざまな祭祀儀礼を行っていた。この王府祭祀に関する研究は、首里古老の記憶を聞き書きした論考等があり、『琉球国王家年中行事正月式之内』が翻刻されると、王府の正月儀礼に関する具体的な研究も報告された。さらに鎌倉芳太郎コレクションや尚家文書の公開等により、正殿の建築空間における王府祭祀を論じた研究も行われるようになった。琉球国の王府祭祀は、実態が掴めないながらも考察されてきたのである。しかし、王府祭祀研究で蓄積が少なかった分野が祭祀儀礼道具の研究である。文献史学の考察では、道具の形状や製作仕様の考察は限界があり、工芸史研究では儀礼空間における道具使用の実態を考察することは難しい。本論では、文献史料と製作技術に関する考察を相互に行い、祭祀儀礼道具の研究を通して琉球国の王府祭祀の一端を論じようという試みである。

これまで王府祭祀は、正月祭祀や女神官中心の祭祀儀礼の考察が主であったが、本論では、第一章で王府の年中行事を通年で紹介し、内容を俯瞰的に捉え、行事の分類分けを行った。この年中行事で国王と琉球の官人達が同席して行う共飲儀礼が年間に何度も挙行されたことに着目し、特に美御前揃三御飾御規式に使用された道具群の考察を試みた。まず『圖帳當方』「三御飾御規式御飾之圖」に図示される祭祀儀礼道具について現存資料、古写真、絵図・文献史料を駆使し、道具立の構成と内容を明らかにした。特に「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」のように現存資料や古写真が複数残存し、個々の変遷に関する比較考察が可能な事例もあることが分かった。

第二章、第三章では、道具の変遷の比較が可能な「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」に絞り考察を試みた。「御籠飯」は、円形二段食籠の器形が踏襲され、髹漆・加飾は16~17世紀の黒漆で花鳥虫等を描く沈金から、17~19世紀の朱漆で巴紋等を描く仕様に変遷したが、透過X線画像の比較では木地構造が16世紀から19世紀の近世琉球末期まで、ほとんど変化が無いことが明らかとなった。「御玉貫」・「御玉垂」は、ガラス玉の編み方、個々のガラス玉の形状や色調、地色、底裏仕様、身法量の変遷と文献史料等による伝来情報を含め考察し、16 世紀に遡る A タイプ、17 世紀中期より製作された B タイプ、19 世紀後半の C タイプに区分できた。「御籠飯」の表面の髹漆・加飾仕様が変遷しつつも、内部の木地構造に変化が少ないことや、「御玉貫」・「御玉垂」の表面のガラス玉の装飾仕様等に変遷が認められるが、ほとんどの底裏に巴紋の表現があることから「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」は、16~19世紀の長期間、国外産ではなく琉球国内で技術が継承され製作されていたことを明らかにした。

それでは諸外国から製作技術を導入し、原材料を調達して琉球国内で長期間、製作技術が継承された「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」は特異な事例だったのか、王府全体の潮流であったのか。琉球の工芸製作技術の導入と原材料輸入の事例をなるべく網羅的に集積して分析を行う必要性がある。

第四章では、個別の工芸史で紹介されてきた琉球への工芸技術の導入記録を初めて横断的に整理分析し、工芸技術導入の傾向を明らかにした。

第五章で進貢貿易時の輸入記録や国内の工芸・建築関係史料を整理し、これまで各所蔵機関等で個別に公開された琉球関係文化財の科学調査結果を初めて網羅的に集積し、文献史料との比較を試み、琉球における原材料使用の傾向を明らかにした。

第四章・第五章の考察から、琉球は首里城跡出土遺物から 15 世紀前半頃までは進貢貿易による国外産の陶磁器・陶器等をそのまま祭祀儀礼道具としたが、15 世紀後半以降の進貢貿易の退潮を受け、祭祀儀礼道具及び進貢貿易時の献上品製作を自国で行う体制の機構整備を行った。その技術は中国・日本からの移住者や、琉球人が中国・日本に渡り技術を習得し導入することが断続的に行われた。原材料は、東南アジア交易が 16 世紀後半に途切れ、輸入経路は中国・日本に限定された。また近世琉球期には漆、桐油、弁柄等、国内調達を模索する動きも一部あった。

本論で取り上げた祭祀儀礼道具が国王と家臣団の共飲儀礼に使用された意義について述べると、古琉球期、進貢貿易で得た富の象徴である最高水準の陶磁器等を使用したように、近世琉球期も国外導入の最高水準の製作技術と、高価な輸入原材料使用の道具が、国王と家臣団の間を結ぶ共飲儀礼の場で使用されたのである。家臣団は王権の権威が誇示された飾道具を拝観しながら、御酒・御茶を下賜される栄に浴し、君臣の結束を確認する機会を年間何度も創出したのであった。このように本論により、王府御用の祭祀儀礼道具を使用した共飲儀礼は王府が家臣団を統治する装置の一つとして一定の役割を果たしていたことを明らかにしたと考えている。

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