論文要旨
琉球国では、年間を通して、さまざまな祭祀儀礼を行っていた。この王府祭祀に関する研究は、首里古老の記憶を聞き書きした論考等があり、『琉球国王家年中行事正月式之内』が翻刻されると、王府の正月儀礼に関する具体的な研究も報告された。さらに鎌倉芳太郎コレクションや尚家文書の公開等により、正殿の建築空間における王府祭祀を論じた研究も行われるようになった。琉球国の王府祭祀は、実態が掴めないながらも考察されてきたのである。しかし、王府祭祀研究で蓄積が少なかった分野が祭祀儀礼道具の研究である。文献史学の考察では、道具の形状や製作仕様の考察は限界があり、工芸史研究では儀礼空間における道具使用の実態を考察することは難しい。本論では、文献史料と製作技術に関する考察を相互に行い、祭祀儀礼道具の研究を通して琉球国の王府祭祀の一端を論じようという試みである。
これまで王府祭祀は、正月祭祀や女神官中心の祭祀儀礼の考察が主であったが、本論では、第一章で王府の年中行事を通年で紹介し、内容を俯瞰的に捉え、行事の分類分けを行った。この年中行事で国王と琉球の官人達が同席して行う共飲儀礼が年間に何度も挙行されたことに着目し、特に美御前揃三御飾御規式に使用された道具群の考察を試みた。まず『圖帳當方』「三御飾御規式御飾之圖」に図示される祭祀儀礼道具について現存資料、古写真、絵図・文献史料を駆使し、道具立の構成と内容を明らかにした。特に「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」のように現存資料や古写真が複数残存し、個々の変遷に関する比較考察が可能な事例もあることが分かった。
第二章、第三章では、道具の変遷の比較が可能な「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」に絞り考察を試みた。「御籠飯」は、円形二段食籠の器形が踏襲され、髹漆・加飾は16~17世紀の黒漆で花鳥虫等を描く沈金から、17~19世紀の朱漆で巴紋等を描く仕様に変遷したが、透過X線画像の比較では木地構造が16世紀から19世紀の近世琉球末期まで、ほとんど変化が無いことが明らかとなった。「御玉貫」・「御玉垂」は、ガラス玉の編み方、個々のガラス玉の形状や色調、地色、底裏仕様、身法量の変遷と文献史料等による伝来情報を含め考察し、16 世紀に遡る A タイプ、17 世紀中期より製作された B タイプ、19 世紀後半の C タイプに区分できた。「御籠飯」の表面の髹漆・加飾仕様が変遷しつつも、内部の木地構造に変化が少ないことや、「御玉貫」・「御玉垂」の表面のガラス玉の装飾仕様等に変遷が認められるが、ほとんどの底裏に巴紋の表現があることから「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」は、16~19世紀の長期間、国外産ではなく琉球国内で技術が継承され製作されていたことを明らかにした。
それでは諸外国から製作技術を導入し、原材料を調達して琉球国内で長期間、製作技術が継承された「御籠飯」、「御玉貫」・「御玉垂」は特異な事例だったのか、王府全体の潮流であったのか。琉球の工芸製作技術の導入と原材料輸入の事例をなるべく網羅的に集積して分析を行う必要性がある。
第四章では、個別の工芸史で紹介されてきた琉球への工芸技術の導入記録を初めて横断的に整理分析し、工芸技術導入の傾向を明らかにした。
第五章で進貢貿易時の輸入記録や国内の工芸・建築関係史料を整理し、これまで各所蔵機関等で個別に公開された琉球関係文化財の科学調査結果を初めて網羅的に集積し、文献史料との比較を試み、琉球における原材料使用の傾向を明らかにした。
第四章・第五章の考察から、琉球は首里城跡出土遺物から 15 世紀前半頃までは進貢貿易による国外産の陶磁器・陶器等をそのまま祭祀儀礼道具としたが、15 世紀後半以降の進貢貿易の退潮を受け、祭祀儀礼道具及び進貢貿易時の献上品製作を自国で行う体制の機構整備を行った。その技術は中国・日本からの移住者や、琉球人が中国・日本に渡り技術を習得し導入することが断続的に行われた。原材料は、東南アジア交易が 16 世紀後半に途切れ、輸入経路は中国・日本に限定された。また近世琉球期には漆、桐油、弁柄等、国内調達を模索する動きも一部あった。
本論で取り上げた祭祀儀礼道具が国王と家臣団の共飲儀礼に使用された意義について述べると、古琉球期、進貢貿易で得た富の象徴である最高水準の陶磁器等を使用したように、近世琉球期も国外導入の最高水準の製作技術と、高価な輸入原材料使用の道具が、国王と家臣団の間を結ぶ共飲儀礼の場で使用されたのである。家臣団は王権の権威が誇示された飾道具を拝観しながら、御酒・御茶を下賜される栄に浴し、君臣の結束を確認する機会を年間何度も創出したのであった。このように本論により、王府御用の祭祀儀礼道具を使用した共飲儀礼は王府が家臣団を統治する装置の一つとして一定の役割を果たしていたことを明らかにしたと考えている。
英文要旨
Research on Ritual Tools of the Ryukyu Kingdom
The Ryukyu Kingdom held various ritual rites throughout the year.
In this paper, first, the ritual rites of the Ryukyu Kingdom are introduced; second, records of the introduction of craft-making techniques and imported raw materials during the Ryukyu Kingdom are presented; Finally, I will conduct a detailed study of the actual artifact and provide insights into the production techniques. Based on these three considerations, I will research the royal rituals of the Ryukyu Kingdom through the research of ritual implements. Specifically, Chapter 1 introduces the annual rituals of the Wangfu throughout the year, taking a holistic view of the contents and categorizing the rituals.
In Chapters 2 and 3, we focus on the tools used in ritual rites and crafts that allow comparison of changes in production techniques.
In Chapter 4, the records of the introduction of craft techniques to Ryukyu are organized and analyzed as a whole for the first time, and the trends in the introduction of craft techniques are clarified.
In Chapter V, we compiled a list of imported goods from China, raw materials used for domestic crafts, and construction-related raw materials. For the first time, a comprehensive list of the results of scientific research on Ryukyu-related cultural properties investigated to date was compiled and compared with the list of records of raw materials. A comparative study of the list of records of raw materials and the list of results of scientific research on cultural properties related to the Ryukyus reveals trends in the use of raw materials in the Ryukyus.
The significance of the use of ritual implements discussed in this paper for the co-drinking rituals of the king and his vassals is that the production techniques introduced from abroad and the raw materials of crafts imported from abroad were combined to prepare ritual implements that only the royal household could produce and perform ritual rites. By participating in ritual rites using tools that could only be produced by the royal household, the vassals were able to gain a new appreciation of the king’s authority. This reveals that the tools used in the ritual rites organized by the king’s office played a certain role in governing the vassals.
論文審査結果
上江洲安亨氏の論文は、これまで文献史料研究からのアプローチが中心であった琉球国の王府祭祀研究について、祭祀儀礼道具を通じて論考を試みた内容となっている。
論文は「序論」、「第一章」から「第五章」、「終章」から構成されている。
「序論」では祭祀儀礼道具の研究史、琉球国王府祭祀研究の研究史、琉球関係文化財の科学調査に関する研究史、本論文の研究課題、論文構成などが述べられている。
「第一章首里城内の年中行事における共飲儀礼の考察」では、首里城で行われる年中行事全体の分類を行ない、国王と士族たちが酒などを共飲する儀礼について考察している。さらに、『圖帳當方』の「三御飾規式之時御座御飾之圖」に描かれた一つ一つの祭祀儀礼道具の同定を詳細に行っている。
「第二章琉球漆器の円形二段食籠の木地構造に関する考察」では、透過X線調査などで明らかとなった円形二段食籠の捲胎技法による木地構造を中心に論じている。
「第三章琉球国の御玉貫、御玉垂に関する考察」では、祭祀儀礼道具としての御玉貫と御玉垂について論じ、その起源や編年、用途について詳細に考察している。
「第四章近世期に琉球国へ導入された工芸品の製作技術」では、漆器、染織、陶器をはじめとするさまざまな工芸技術の外部からの導入に関する文献記録を網羅的、横断的に取り上げ、全体的な傾向と特徴を分析している。
「第五章近世期に琉球国で工芸品に使用された原材料に関する考察」では、これまで行われてきた琉球国の美術工芸品の科学分析結果と貝擦奉行所関係文書と首里城重修関係史料などの文献との比較検討を行い、琉球国の工芸品に使用された原材料に関する全体的な傾向を分析している。
「終章」では、本論文全体の研究成果がまとめられている。
こうした論文の構成と内容について、審査委員からは下記のような評価がなされている。
(1)研究史が的確にまとめられている。(2)学術論文として資料批判、資料分析、資料引用などが適切になされている。(3)執筆者独自の新たな見解が複数示されている。(4)研究史を充分に踏まえてこれまでの研究上の問題点の解明を試みている。(6)琉球国王府の祭祀儀礼の研究の中で、具体的な祭祀儀礼道具を詳細に検討した初めての試みである。(7)文献と実際の工芸品の検証が網羅的、横断的に行われている。(8)全体として完成度の高い論文となっている。
また一方では、(1)図に残された儀礼道具と実際の器物の同定の一部が明確ではない。(2)考古資料との擦り合わせが充分でない。(3)一部の結論がこれまでの研究結果の枠を出ていない。などといった点が審査委員から指摘された。
審査委員会は以上の評価を総合して、本論文は博士の学位に相応しい優れた内容であると判定した。
最終試験結果
最終試験(口述) (日時:1月22日 10:15~11:50 場所:一般教育棟3階大講義室)
最終試験は、まず進行者が申請者(受験者)の紹介と審査委員の紹介を行った。次に申請者が論文の概要を口頭で説明した。続いて審査委員が一人ずつ提出論文について質疑を行い、申請者が審査委員一人ずつの質問に対して回答を行った。質疑応答の結果、論文内容について充分に理解していると判定した。質疑では、琉球漆器の捲胎技法はどこから来たのか、一人の人間が異なる工芸技術取得のために複数回留学した例があるが彼らは専門家であったのか、共飲儀礼は東アジアで幅広くみられるが琉球国の共飲儀礼は独自のものであったのかそれとも外からの影響を受けたのか、など多くの質問が提示されたが、ほとんどの質問について的確な回答があった。申請者が現時点で明確に回答できない質問についても、自身の問題意識や今後の課題を適切に説明し、質疑応答全体は高く評価できる。
総合判定
審査委員会は、審査を実施するにあたり「沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科(後期博士)博士論文等審査基準」に基づいて、申請者・上江洲安亨氏より提出された論文が要件を満たしているかについて審査を行った。
まず、論文審査、最終試験(口述)の成績素点はそれぞれ100点満点の85点以上を合格とすることとした。
次に博士論文等審査基準に従って審査を行い、評価基準を満たしているかについて判定した。その結果、4人の審査委員全員一致で、提出された論文が博士(芸術学)の学位に相応しい論文であると判定した。
最終試験(口頭)では、質疑応答によって審査を行い、申請者が当該研究に関する総合的な知見、理解力、研究能力を十分に有していると判定した。
最終試験(口頭)終了後に審査会議を開き、4人の委員から提出された素点を集計した結果、論文および最終試験(口頭)の成績が合格点を超えていた。審査委員会は申請者が提出した論文が博士の学位を授与するに相応しい優れた内容であり、博士論文等審査基準の評価基準を満たしていることから、総合判定を「合格」とする。