沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

Read Article

現代沖縄における「和太鼓」系創作芸能の実践に関する考察

氏名(本籍)
大城 盛裕おおしろ もりひろ(神奈川県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博4
学位授与日
平成21年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
現代沖縄における「和太鼓」系創作芸能の実践に関する考察
ダウンロード
論文要旨および審査結果の要旨
審査委員
  • 教授 久万田 晋[主査]
  • 教授 板谷 徹
  • 教授 金城 厚
  • 教授 大塚 拜子
  • 教授 寺田 吉孝(国立民族学博物館教授)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • コメント
  • 論文審査要旨

論文要旨

本研究の目的は、現代沖縄における「和太鼓」系創作芸能の実践と、当該社会におけるその意味を明らかにすることである。

本研究の方法は次の三つの視点に基づいている。

第一に、ローカル-グローバルな視点から、日本の芸能における現代的な諸問題を明らかにすることである。一方で地域社会と深く関わり、他方では世界的な規模で展開を見せている「和太鼓」は、この点において有効な研究対象であると考える。

第二に、沖縄という場から考察するという視点である。沖縄における「和太鼓」の受容と展開、実践の現場を分析することで、沖縄の人々にとって異文化である「和太鼓」と、その実践を通して表象される沖縄の民族性との関係性について例証する。

第三に、沖縄における「和太鼓」系創作芸能の実践を、実践者個人の経験やそれに基づく活動実践という視点から分析を行う。一つの芸能が形成される上で、個人が果たす役割について明らかにする。

第1章では本研究の目的を示し、先行研究の整理を行った上で、本研究の方法を提示する。次に、本論で使用する用語の定義を行い本論文の構成を示した。

第2章では日本と北米における「和太鼓」の歴史について概説した。伝統的な日本の太鼓に西洋的な発想をもって創出された「和太鼓」が、戦後の日本社会において形成され、展開していく過程を示した。北米については、「和太鼓」がマイノリティとしての日系人の民族アイデンティティと結びつき、マジョリティであるアングロ=サクソン系社会文化に対抗する手段として受容され、その後アジア系人を中心とする北米の一文化として形成され、現在に至る過程を概観した。

第3章では沖縄の太鼓の歴史を整理、概観した上で、沖縄における「和太鼓」の歴史を明らかにした。戦後、沖縄の太鼓は〈見せる〉音楽・芸能へと変化し、新たなコンテクストを獲得していった。「和太鼓」は1972年の沖縄の日本本土復帰を契機として、沖縄の人々に受容された。その後、沖縄の「和太鼓」は沖縄-本土双方の関係の中で沖縄的な民族性を表象し、新たな沖縄の芸能として展開した。

第4章では1980年代後半から1990年代半ばにかけて開催された太鼓イベントと〈創作芸能〉の組織として設立された沖縄県太鼓連盟の活動を分析した。沖縄の「和太鼓」の実践者たちは沖縄の〈民俗芸能〉を相対化することによって〈創作芸能〉としてのアイデンティティを形成していたが、1992年の首里城復元を契機とした「琉球王国ムード」によって、沖縄の「和太鼓」は琉球イメージと対峙する〈ヤマトゥ〉の芸能として区別されていった。こうした流れを受けて、「和太鼓」に沖縄の民族性を取り入れた実践を志向する団体が増加したことを明らかにした。

第5章では浦添市の鼓衆若太陽を対象とし、「琉球和太鼓」という芸能ジャンルを構想する彼らの実践が、本土との相互交渉によって形成されたことを明らかにした。また、活動を通して表象される民族性について分析した結果、〈イメージとしての沖縄〉から〈経験としての沖縄〉への変化がみられた。さらに、鼓衆若太陽の活動が、浦添市という地域社会において意味を見出し、芸能を通した自治体的な組織を形成して実践がなされていることが明らかにした。

第6章では、読谷村の島太鼓の活動を、ひがけいこという個人の音楽・芸能経験の視点から分析を行った。島太鼓の作品、舞台におけるパフォーマンスがひがけいこ個人の経験による沖縄的なリズム、振付に、実践者の感覚に基づいた民族性表現がなされていることを指摘した。

第7章では本研究のまとめとして、これまでの議論を整理した。現代における「和太鼓」の実践において、1992年の首里城開園を契機として活動形態に変化が見られ、多くの団体が沖縄的な民族性を意識した表現を志向していった。こうした実践を通して、現代沖縄の「和太鼓」は地域おこしや地域アイデンティティの構築、新たな地域の芸能としての意味付け、人間関係の構築、自己アイデンティティの形成というように、地域社会において新たな意味を見出していたことが明らかになった。

英文要旨

Wadaiko as a Neo-Folk Performing Art in Modern Okinawan Context Abstract

This thesis attempts to examine the performance and meaning of Wadaiko as a neo-folk performing art in the modern Okinawan context.

Three theoretical perspectives guide this thesis. First, this thesis employs a local-global perspective to highlight prevailing issues Japanese performing arts face in both local and global contexts. Second, it incorporates the perspective of Okinawan positionality to illustrate the relationship between Wadaiko and Okinawan ethnic identity. Third, it employs a performer-centered perspective to describe the role of an individual performer in the shaping of Wadaiko performance.

Chapter One lays out the objectives of the thesis, presents literature review, and, discusses the methods employed in the research. The definitions of terms used and the overall structure of the thesis are also provided.

Chapter Two traces the histories of Wadaiko in both Japanese and North American contexts. It shows how Wadaiko performance, incorporating Western ideologies, emerged as a divergent form of traditional Japanese Taiko performance through mass media, national events, and tourism in post WWII Japan. It also illustrates how Japanese descents in North America embraced Wadaiko as a means to express their ethnic identity to counter the dominant Anglo-Saxon culture.

Chapter Three discusses the relationship between the traditional Okinawan Taiko and Wadaiko. It explains that the transformation of Okinawan Taiko performance from its traditional form into a “performance show” in the post WWII era set the ground for the emergence of Wadaiko performance in Okinawa after Okinawa’s reversion to Japan in 1972. It agues that Wadaiko performance was incorporated into the genres of Okinawan performing arts because it was able to address Okinawa’s newly obtained identity in relation to mainland Japan.

Chapter Four focuses on Wadaiko events and activities of Okinawa Taiko Renmei, an umbrella organization instrumental in transforming Wadaiko performance into a “neo-folk performing art” in Okinawa from the late 1980s to the mid 1990s. It describes that while Okinawan Wadaiko performers had established their unique performing identity in contrast to “folk performing arts,” the Ryukyu Kngdom mood” incited by the reconstruction of the Shuri castle in 1992 led people to perceive their Wadaiko performance as a Yamatu (Japanese) performance. This situation has led Okinawan Wadaiko groups to incorporate in their performance both music and choreography which are more expressive of Okinawan ethnic identity.

Chapter Five focuses on “Chijinshu Wakatida,” a local Wadaiko performing group in Urasoe city, Okinawa. It shows that while the group’s performance has been influenced by interaction with its Japanese counterparts, its members’ ethnic identity as Okinawan has been transformed through Wadaiko performance from an “imagined identity” to a new “experienced identity.” It argues that this voluntary group has found new social meanings for its existence and now engages in other social activities in a more localized context.

Chapter six examines the relationship between an individual performer, Mrs. Keiko Higa and the performance of Shimadaiko, a genre of Wadaiko performance in Yomitan Village, Okinawa. It illustrates how her own experience and interpretations of Okinawan rhythms, “senses,” and choreography have become foundations of the ethnic expressions manifested in the performance of Shimadaiko.

Chapter Seven concludes this thesis. It argues that, transformed into the genre of neo-folk performing art, Okinawa Wadaiko performance has served to revive local communities, establish human relationship, construct local and individual identities, and built character for many community members.

私は東京の大学で演劇を専攻し、卒業後は主に舞台制作と「和太鼓」の実技指導をしていましたが、現代社会における人々と音楽・芸能の関係性に強い関心を抱くようになり、沖縄県立芸大の博士課程受験を決めました。私が沖縄の地を選んだのは、いわゆる ”沖縄2世” である私自身のルーツであるということと、もう一つは沖縄が地理的にも歴史・文化的にも特異な位置にあり、沖縄で学ぶことによって、日本やアジア、世界をより広い視野で捉えることができると考えたためです。

博士課程では沖縄の「和太鼓」系の創作芸能について研究しました。現代に創作された芸能についての研究はこれまでほとんどありませんでしたが、このような新たなテーマを学位論文の対象として研究することができたのも、沖縄だけでなく、アジア、世界をフィールドに活躍する、多様な分野の一流の先生方のおかげです。また、この研究科に集う学生にはアジア各国からの留学生も多く、それぞれの研究テーマも伝統から現代的なものまで多岐にわたっています。このような仲間たちと議論しながら互いに刺激し合えたことも、私が研究を進める上でとても重要でした。それらは私にとって大きな財産となっています。

論文審査要旨

本論文は、1980年代以来沖縄に導入された「和太鼓系」創作芸能を対象として、その展開過程を描き出すとともに、実際の活動団体を事例として活動実態を論述し、それによってなぜ沖縄に異文化としての「和太鼓」が導入され、どのように沖縄独自の芸能として定着してゆくのかを考察するものである。

これまで沖縄の芸能研究史において、古典芸能や民俗芸能に関する研究の蓄積は相当なものがあるが、本論文が対象としている日本本土系の創作芸能に関してはほとんど研究されてこなかった。その点で、本論文は沖縄における本土系の創作芸能を対象とした先駆的研究と言うことができる。

本編では、日本や北米における「和太鼓」系芸能の展開を展望した上で、1980年代以降の沖縄における「和太鼓」系芸能の導入と展開の過程を詳しく論述している。そして、それらの「和太鼓」系創作芸能団体の中から鼓衆若太陽、島太鼓の二団体を対象として選択し、各々について結成の経緯から組織形態、創作作品の概観、作品の構造分析まで詳しく考察している。

そのなかで、鼓衆若太陽については、組織運営において地域の行政活動と連携している点、創作作品において「沖縄らしさ」が強く志向されている点を指摘したことが大きな成果である。島太鼓については、リーダーであるひがけいこ個人の経歴と資質が団体の維持運営に大きな影響力を持っている点、リズムやパフォーマンスにおいて「和太鼓」とは異なる独自の沖縄らしさを打ち出している点を鮮やかに描写したことが成果である。

最後のまとめでは、沖縄の「和太鼓」系創作芸能について、受容の要因、民族性表現、地域における実践と意味という三つの観点から総括を行っている。この視点は、より幅広く沖縄芸能の諸局面の研究に適用してゆくことが期待できる発展的な視点だと言える。

本論文の課題としては、研究史や方法論において「民俗芸能」という枠組みにかなり寄りかかっており、「創作芸能」という領域に対する理論化が不十分であること、また日本本土や北米の和太鼓集団に関する先行研究の検討が不十分であり、より普遍的な視点から沖縄の「和太鼓」系創作芸能の評価が求められること、さらに本論文が対象とした諸団体では女性の活躍が顕著であるにも関わらず、ジェンダー論的視点が駈けていること、これらの点から「なぜ沖縄で和太鼓なのか」という本質的な設問に完全に応えるには至っていないことなどを指摘しなければならない。

それにも関わらず、沖縄の「和太鼓」系創作芸能という未開拓の領域に挑戦している点、実践者個人の視点から芸能の全体像に迫るという斬新な方法論が成果を収めている点など、沖縄の芸能研究に対して大きな貢献を成し遂げており、博士論文にふさわしい学術的成果を充分に達成していると認められる。

Return Top