沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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精緻歌仔戯の音楽的研究 ―「精緻化」に内包される郷土性―

氏名(本籍)
大畑 亮子おおはた りょうこ[旧姓=長嶺](沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
論文博士3
学位授与日
平成22年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
精緻歌仔戯の音楽的研究 ―「精緻化」に内包される郷土性― 
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論文要旨および審査結果の要旨
審査委員
  • 教授 金城 厚[主査]
  • 教授 梅田 英春
  • 教授 板谷 徹
  • 教授 久万田 晋
  • 教授 尾高 暁子(東京藝術大学非常勤講師)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • コメント
  • 論文審査要旨

論文要旨

本論文は、1990年代前後から台頭してきた精緻歌仔戯の「精緻化」の意味とそこに内包される郷土性の様相を明らかにすることを研究目的とする。

台湾を発祥地とする唯一の劇である歌仔戯は、1900年代初頭に誕生した後も、日本による統治や国民党による中華文化中心の政策や、あるいはマスメディアと娯楽の変化による影響を受けながら、大衆の支持を受け上演されてきた。しかし1980年代に台湾文化の価値を見直す風潮が現れると、「台湾生まれ」の歌仔戯も知識人に再評価され、それと契合するように歌仔戯の当事者の間でも芸術志向が強まった。その結果、精緻歌仔戯とよばれる舞台芸術化した歌仔戯が生まれたのである。

本研究では次の方法に基づき、歌仔戯を「精緻化」させる過程の中で地方戯曲に備わる郷土性がどのように扱われ、またそれがどのような意味を持つのか検証する。まず精緻歌仔戯登場に至る社会的状況を通時的に考察し、その歴史的根拠とインタビューを基に、精緻歌仔戯の音楽を制作する「音楽設計者」の立場と意識を明らかにする。それらを踏まえ、方向性の異なる三劇団とその精緻歌仔戯作品の音楽を分析する。

本論文は七章からなり、まず第1章は序論として先行研究と本研究の位置付けを明確にし、また研究対象と方法を提示した。

第2章では、精緻歌仔戯の前提となる、歌仔戯の歴史展開および歌仔戯を構成する諸要素の基礎的特徴を概観した。歌仔戯の歴史は台湾の近現代史および社会状況と深く関わっており、その影響は歌仔戯を構成する諸要素の形成過程にも及ぶこと、またその音楽は既存のものを再利用する方法であるため、親近感とともにマンネリに陥りやすい側面があることを確認した。

第3章では、先行文献における「精緻化」の概念の整理と、音楽設計者の音楽設計へのインタビューを通し、歌仔戯の「精緻化」の意味を再検討した。精緻歌仔戯の作品は監督を中心とした専門家らによる専業・分業作業で制作される。その音楽の創作/改編/構成を担当する音楽設計者は、歌仔戯音楽のみならず西洋音楽や中国伝統音楽、ポピュラー音楽等を含めた自らの音楽知識と経験をもとに作業を行うが、制作過程で優先されるのは歌仔戯の伝統性と劇団の方向性である。歌仔戯の「精緻化」には伝統の継承と発展を同時に行うという意味が含まれ、音楽設計者はそれを音楽的に体現する役割であることを明らかにした。

第4章から第6章では、精緻歌仔戯を制作上演する代表的な劇団とその作品を分析し、それぞれ異なる劇団の方向性とそこに共通して存在する歌仔戯音楽を考察した。第4章で取り上げた宜蘭県立蘭陽戯劇団の作品《錯配因縁》では創作旋律も用いられているが、基本的には伝統的な音楽様式の継承またはその部分的な引用で構成されている。これは蘭陽戯劇団の所在地である宜蘭県が「歌仔戯の発祥地」であり、その自負から伝統継承に対する強い意識があることが大きな要因となっている。

第5章の河洛歌子戯団の作品《秋風辭》は、作品のテーマに合わせた新しい素材を利用しながらも、伝統旋律を創作旋律のモティーフとして用いるといった、伝統の「継承的発展」が強い構成である。これは、河洛歌仔戯団がテレビ歌仔戯出身であるため斬新な手法を取り入れることに抵抗がないこと、また河洛歌子戯団が活動を開始した80年代後半に沸騰した台湾意識の影響を受けて、伝統を意識的に継承するよう務めているからである。

第6章の春美歌劇団の作品《青春美夢》は、従来とは異なる楽器や創作旋律が多用されており劇団や作品の個性が強調されているが、伝統的な音楽方法をアレンジして用いるという伝統の「発展的継承」もみられる。これは、春美歌劇団の方針が現代社会に適した娯楽性の高い作品の創作にありながらも、それだけでは台湾意識が高まる台湾の中で社会的地位が得られないことに劇団自身が気付いているからである。

第7章では本研究の結論を次のようにまとめた。台湾で生まれ育った歌仔戯には、台湾の歴史や文化そのものが蓄積されており、だからこそ1980年代の台湾意識の昂揚の中で再評価されるに至った。台湾意識の波は、歌仔戯の伝統の保護だけでなく、また現代社会の求めに応じた芸術的発展だけでもなく、各劇団の方向性の中で多様な形で伝統を用いるという意識の変化を「台湾生まれ」の歌仔戯にもたらした。よって歌仔戯の「精緻化」とは、台湾文化の中で生まれ育った歌仔戯の伝統を意識的かつ芸術的に再構築することといえる。加えて言うならば、精緻歌仔戯に備わる郷土性は、劇団にとっては愛郷心の提示だけでなく、活動資金の獲得といった劇団運営にも関わる要素になり得るのである。

英文要旨

Locality in Refinement: A Study on Musical Elements
of the “Refined Taiwanese Opera”, Jingzhi Gezaixi

Gezaixi (歌仔戯) is the only Taiwanese drama that can traces its origin to Taiwan. Under the influences of the Japanese rule and later of the Kuomintang’s Han-centric cultural policies, along with changes in the pubic taste for entertainment, Gezaixi continued to be performed. When the trend towards “indigenization” became a force in the 1980’s, the “Taiwan born” Gezaixi was re-evaluated by intellectuals, and it’s performing community’s search for artistic refinement began. As a result, Jingzhi Gezaixi (精緻歌仔戯) or “refined” Gezaixi, was formed. And since the 1990s, it has gained popularity.

In this thesis, I examine the musical elements of Jingzhi Gezaixi and the “locality” embedded in it. My examination draws upon analysis of changing social conditions in modern Taiwan, interviews with “music designers,” and analysis of musical elements of three pieces performed by a Taiwanese opera company and troupes.

Chapter 1 lays out the objectives of the thesis, presents literature review, and discusses the methods employed in my research.

Chapter 2 provides an overview of the development of Gezaixi and examines its important characteristics. It is discussed how the development of Gezaixi has been deeply influenced by the social changes taking place in modern Taiwan. It is argued that the sense of closeness produced through the music of Gezaixi has an inherited tendency to fall into mannerism.

Chapter 3 explores the musical aspects of Jingzhi Gezaixi based upon interviews with “music designers.” It is pointed out that the traditional musical elements of Gezaixi and the direction each opera company/troupe takes are given the most priority when producing a Jingzhi Gezaixi piece. It is thus argued that the “refinement” in Jingzhi Gezaixi means both “traditional succession” and “development.”

Chapter 4 examines The Mismatched Marriage (錯配姻縁) by the Lan-Yang Taiwanese Opera Company(宜蘭県立蘭陽戯劇団), a public opera company from Yilan County. While incorporating new creative melody lines, this piece is characterized by its embodiment of the traditional music style. It is argued that the company’s emphasis on “traditional succession” is related to the fact that the Yilan County is considered as the “birthplace of Gezaixi.”

Chapter 5 focuses on Autumn Ode (秋風辭) by the Ho-Lo Taiwanese Opera Troupe(河洛歌子戯団). Originally created for TV entertainment purposes, the troupe is capable of integrating novel musical elements. The piece is however characterized by the use of traditional melody lines as the source for the creation of new melody lines. Given that the troupe is strongly influenced by the emerging Taiwanese consciousness, this piece can be regarded as an example of “development within traditional succession” .

Chapter 6 discusses Beautiful Dream of Youth (青春美夢) by the Chun-Mei Taiwanese Opera Troupe(春美歌劇団). While this piece is highly distinctive, characterized by the innovative incorporation of new musical instruments and creative melody lines, the troupe’s adherence to the traditional music is still apparent in the piece. It is argued that the innovative incorporation is not enough for the troupe to gain social acceptance and status in light of the emerging Taiwanese consciousness. This piece can be seen as an example of “traditional succession within development”.

Chapter 7 concludes this thesis. It is argued that while Jingzhi Gezaixi entails the preservation of traditional culture and the development of new artistic expressions in response to the various demands from modern Taiwanese society, it also points to the promulgation of different and localized styles of music in accordance with different artistic directions these opera companies and troupes take within the framework of Gezaixi.

私は平成8年に沖縄県立芸術大学の音楽学専攻に入学し、その後も同大学修士課程、そして本博士課程で民族音楽学を学んだ「生粋の」沖芸育ちです。幼少時からピアノなどいわゆる西洋音楽に触れてきましたが、一方で非西洋音楽や音楽を取り巻く社会にも強い関心を持っていたので、それらを学ぶコースがある本大学への進学を希望したのです。学部3年の時に研究対象を中国劇音楽に絞り、以後、文化政策や移民、アイデンティティ問題とアプローチの方法を広げながら研究を続け、博士論文に至りました。

本研究科の在籍学生数は決して多くありませんが、そのぶん先生や仲間たちとの距離が近く、ゼミ以外の場所でもお互いの研究についてざっくばらんに語り合える良い雰囲気があります。研究対象や研究地域の差を越えて問題意識を共有できたことが、自身の研究を進める上で大きな励みになりました。

論文審査要旨

申請者の論文は、台湾において、1990年代前後に誕生した精緻歌仔戯とよばれる演劇の音楽を研究対象として、精緻歌仔戯の「精緻化」の意味と、そこに内包された「郷土性」の様相を、精緻歌仔戯の歴史的考察、音楽設計者へのインタヴュー、楽曲分析などの方法を通して明らかにしようとする試みである。

本論文の成果の第一は、台湾の精緻歌仔戯研究において、国際的にも初めて音楽的側面に着目し、歌仔戯研究における新たな研究の方向性を示したことにある。これまでの精緻歌仔戯研究は、台湾においても文学的、演劇的研究が中心だったことから、本研究はこの研究分野における先駆的な研究といえる。

第二に、三つの劇団が上演した特徴の異なる精緻歌仔戯の音楽に対する緻密な音楽構造分析を行い、音楽設計者による精緻歌仔戯の斬新な創作手法の中には、劇団の性格に応じた差異はありながらも、20世紀初頭に誕生した歌仔戯の伝統的な音楽的特徴が継承されているという指摘を通して、音楽の「精緻化」の特徴を明確に示したことである。

第三に、分析対象とした音楽の創作を担当する音楽設計者、周以謙に対する詳細なインタヴューを通して、劇団と音楽設計者の関係、劇団ごとの「精緻化」に対する意識の差異などを明らかにした点にある。

第四に、テクスト分析から見出された精緻歌仔戯の音楽における伝統継承の要因を、精緻歌仔戯が誕生していく社会的なコンテクストの考察を通して、台湾における台湾らしさの希求である「郷土性」の観点から論じた点にある。

一方で課題としては、本論文が民族音楽学における音楽の構造分析研究に依拠したことによって、精緻歌仔戯という演劇全体に対する歴史的、演劇的概観、さらに台湾における「郷土性」が誕生するまでの政治的、社会的な考察が不十分であったこと、また音楽設計者に対するインタヴューの記述方法が不十分であったことを指摘しておかなければならない。

しかし、これまで研究が行われてこなかった精緻歌仔戯の音楽研究に果敢に挑戦し、膨大な採譜と詳細な楽曲分析、音楽設計者に対するインタヴュー、台湾の複雑な社会状況の考察から、歌仔戯の「精緻化」に関する新たな知見を導き出したこと、また、これを通して現代社会におけるアイデンティティと音楽の関係の研究に対する新たな視点を提供したことは、民族音楽学における大きな学術的成果であり、博士の学位にふさわしい研究として高く評価できる。

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