沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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日本画領域における幻想表現の一考察 -重層構造としての寒冷紗の可能性について-

氏名(本籍)
平良 優季たいら ゆうき(沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博15
学位授与日
平成29年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
日本画領域における幻想表現の一考察 -重層構造としての寒冷紗の可能性について-
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博士論文全体  論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 平山 英樹[主査]
  • 教授 柳 悦州
  • 教授 田中 睦治
  • 教授 小林 純子
  • 教授 荒井 経(東京藝術大学)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • 論文審査要旨

論文要旨

 本研究は「日本画領域における幻想表現の一考察」のもと、寒冷紗の特徴である重層構造に着目した、幻想表現の可能性を見出すことを目的としている。そこで、寒冷紗の立ち位置の追求や特徴を明らかにしていくために、日本画材の変遷と日本画材としての寒冷紗の可能性の追求と実験を行う。その上で自身の幻想表現についての追求を行い、寒冷紗の特徴と自身の表現がどのように結びつくのか分析していく。そのため本研究を、日本画材としての寒冷紗、比較実験、幻想表現についての 3 つの視点から、5 章立てに構成した。

 第 1 章では「日本画材の変遷」と題し、明治期における会場芸術の導入以降の絵具と基底材の変遷について分析を行った。前者においては、西洋画の色彩の豊富さに対抗し、群青と緑青の 2 種類であった岩絵具から、現在のバリエーションに富んだ色数の岩絵具が開発された。後者においても展覧会制度の導入によって巨大壁画の展示に伴い、国をあげて開発された大判の紙が誕生した。その結果、日本画材は西洋画にも引けを取らない、色彩豊かで重厚、巨大な画面を作り出すことを可能にした。

 第 2 章では「日本画材としての寒冷紗」について、寒冷紗の歴史や流通の変遷、繊維の特質、寒冷紗を使用した作品の熟覧調査等の視点から着目した。明治期における寒冷紗は、 使用し辛く安価な物という認識で、使用された記録は残っているが作品は現存していなかった。しかし第1章でも触れたように、日本画材の開発が進んだ大正期以降においては、寒冷紗の特徴に着目した使用法を取り入れた作品が登場し始めた。秦テルヲ(1887-1945)がその先駆者として指摘できる。現在の作家である小谷津雅美(1933-2011)に至っては、寒冷紗は表現の一つとして使用されていた。彼らの作品の分析から、寒冷紗は絵具の「定着性」や「透過性」、「重層性」、「素材性」といった特徴があげられた。

 第 3 章では「日本画基底材と寒冷紗の表現実験」と題し、「グラデーションによる比 較実験」と「裏打ち材による比較実験」、「重層性による布素材の比較実験」、「重層性を用いた日本画技法の比較実験」を行った。従来の日本画基底材である麻紙や絹、麻布、その他の素材にピーニャ布を比較対象にあげて、寒冷紗の特徴を比較分析した。結果として、寒冷紗のみで絵具を塗り重ねるとたゆんでしまい、基底材としては適していなか った。しかし寒冷紗の裏に麻紙を裏打ちすることで、絵具の定着と発色を良くし、布素 材独特の素材性が良く表れることが指摘できた。また裏打ち材の麻紙に描画を施し、そ の上に寒冷紗を貼り込む手法を用いることにより、裏打ち材を透過した上から、さらに加筆することによって重層の効果が得られた。これら実験を通して、寒冷紗の特徴に絵具の「定着性」と「発色性」、「透過性」、「重層性」、「素材性」があげられた。

 第 4 章では自身の制作テーマとなる「幻想」について、言葉の定義や幻想をテーマと した絵画作品、小説等の分野に着目し、どのように幻想を表現しているのか分析を行った。幻想の意味合いは、分野や時代によっても解釈は変化するため、定義づけが難しく多様な表現を持っていた。自身の幻想表現の一つである「重層性」を用いた作品においては、現実世界のモチーフ同士が結びついたり重なり合う異質さを表す。そこで自作における重層表現の要素には、現実世界の物と物が形を変えて移り変わる「変容、移り変わり」、現実世界が溶けて消えていく「融解」、子どもと大人の境界である「少女」を描くことで、あい伝ティティの揺らぎが現実と非現実の境界を行き来する立場を表現する、4 つの要素が伴い「幻想」としている。これらの要素と寒冷紗の特徴が重ね合わさることで、自身の幻想表現を裏打ちさせている。

 第 5 章では幻想を表現するにあたり、寒冷紗の裏に麻紙を貼り込む手法を用いて「裏打ち材による効果」と「絵具の粒子による効果」、「箔による効果」の 3 つの視点から、表現を解析していった。寒冷紗の粗く織られた平織り構造は、裏打ちの麻紙に描かれたモチーフの形やディテールを、ぼかす効果を生み出した。さらにその上から描写を施すことにより、裏打ち材と寒冷紗の 2 層が重層する。寒冷紗は岩絵具を良く定着したことで、絵具の発色を良くした。このことから、自身の幻想表現を裏打ちする効果となって表れた。この実制作を通して自身の幻想表現である、「重層」と「変容、移り変わり」、「融解」を表わす上で、寒冷紗の「定着性」と「発色性」、「透過性」、「重層性」、「素材性」といった特徴が重ね合わさり、表現することができた。

 以上のことから、寒冷紗は近代から現代にかけて行われた岩絵具の開発によって、日 本画材と寒冷紗の相性を良くしたことが今回の実験や研究、実制作を通して指摘できた。そして寒冷紗の特徴としてあげた、重なった層を作り出す「重層性」は、自身の幻想表現の重層性や変容、融解、少女性を表すうえで効果的な素材であると結論づける。

英文要旨

STUDY OF THE FANTASTICAL EXPRESSIONS IN JAPANESE PAINTING:
EXPLORING POSSIBILITIES OF LAWN AS OVERLAY

Lawn has been frequently used as base materials in Japanese painting. As an artist pursuing expressions of fantasy, the author considers lawn as an essential material in her art works. In the pursuit of personal fantasy expression, various characteristics of lawn will be analyzed to show how they are linked to the effective expression of themes in painting. This dissertation consists of five chapters incorporating three aspects of analysis: the history of lawn as a material in Japanese painting, experiments on and with lawn and exploring fantasy expressions using lawn.

Chapter 1 investigates a variety of materials used in Japanese painting. Competing against the abundance of western colors, numbers of mineral pigments rich in color variation were developed during the Meiji period. With the introduction of the Salon system to Japan, large sheets of Japanese paper came to be produced. These changes enabled artists to create Japanese paintings as impressively large and colorful as western paintings.

Chapter 2 focuses on the use of lawn in Japanese painting. In the Meiji period, lawn was known as a cheap but intractable material. But in the Taisho period paintings using lawn started to appear, in which the material with its distinctive features was effectively adopted as a medium for particular expressions. The analysis of such works enabled the author to identify the properties of lawn in painting as ‘fixation’, ‘transparency’, ‘overlay effect’, and ‘unique material texture’.

Chapter 3 compares the results of experiments conducted using Japanese-painting base materials and lawn. Lawn alone was not sufficient as a base material for Japanese paintings; however, through pasting paper on the reverse side, pigment and color fixation on lawn improved greatly and its quintessence was eventually revealed with great impact. With further painting on top a special overlay effect was created. In addition, a transparent effect emerged through the unique, rough texture of the material.

Chapter 4 reflects upon the author’s creative theme of “Fantasy”. The definition of the term and its creative use in the arts, novels and so on demonstrate its multifaceted expressions. Fantasy in the author’s works is expressed in the multiple layers and connections of real and unreal motifs and their heterogeneous coexistence. It evolves around themes such as transformation of objects in the real world, causing the reality to vanish and revealing the ambiguity of one’s identity.

Chapter 5 examines the three fantasy expression modes using lawn overlay, namely, the effect on paper mounted on lawn, the effect of pigment particles, and the effect of silver leaf layering. The plain woven texture of lawn effectively shades off the details of motifs and forms painted on the mounted paper. Color pigments applied on the lawn surface, fixed well and increasing in brightness, further add layers of expression. Complex multi-laying effects of the materials enabled the author to produce her own original expressions of fantasy art.

This study and its resulting productions demonstrate that the remarkable development of mineral pigments over modernist to post-modern times greatly ameliorated the affinity between traditional Japanese painting materials and lawn. The multi-layered lawn in Japanese painting thus successfully gives expression to the author’s pursuit of the fantasy theme, revealing overlay, fusion and ambiguity in the real and unreal worlds.

論文審査要旨

本論文は、「日本画領域における幻想表現の一考察」と題し、筆者の制作上の研究から提議した寒冷紗に焦点をあて、想定し得る見地から比較研究を行い検証、論述したものである。ここでは自身の制作への裏付けが実証され、表現への追究に繋ぐ展開が論考されている。

第1章、第2章は「日本画の近現代史」と「日本画材としての寒冷紗」の考察になっている。第1章では先行研究をまとめ、「日本画」の成立や日本画材の歴史を概観した。第2章では近現代における寒冷紗の歴史、流通の変遷、また繊維としての特質について論述している。さらに、寒冷紗を使用した近現代の日本画を調べ上げ、明治期は絹紙の代用だったものが、大正・昭和前期以降は積極的に日本画の表現に取り入れられていった歴史を明らかにした。実際に作品を熟覧し、現存作家へは聞き取りを行うなど、調査研究は実証的で、多くの新知見を提示し、寒冷紗と日本画の関係を解明したものと高く評価された。加えて、これらを検証した上で、「透過性」、「重層性」、「定着性」や「素材性」といった寒冷紗の特質を抽出し、次章以降の論述の重要な足掛かりとなっている。

第3章においては、「日本画基底材と寒冷紗の表現実験」と題し、段階を丁寧に踏んで実験を重ねて比較分析が行われた。「グラデーションによる比較研究」、「裏打ち材による比較研究」「重層性による布素材の比較研究」そして「重層性を用いた日本画材技法の比較実験」から構成されている。単に素材実験に留まらず、実作者である筆者の制作の裏付けとなる実験結果が得られ、寒冷紗の特質を導き出している。基礎的なグラデーションによる比較研究から、段階を経て寒冷紗の「透過性」や「重層性」等の特質を順次導き出すために独創的な実験方法を開発し、確実に結果へと結びつけている。観察方法や分析方法、図表の的確さ、試料の量も含め、充実した実験、検証であると高く評価された。

第4章、第5章は、「幻想表現」の解釈、定義づけから始まり、自作品の幻想表現について論述されている。制作過程に沿って、画材としての寒冷紗が実際の制作においてどのように関わるかを実証している。自作品における幻想表現は、「重層性」を主軸としたもので、「変容・移り変わり」、「融解」「発色」「少女性」といった表現要素を併せもって成立しているとまとめている。寒冷紗の持つ特性は、自作品の制作において、画材としての効果や安定性だけでなく、幻想自体を表現する媒体となっている。また、表現要素を組み入れる上で、寒冷紗が重要なファクターになっていることを実証して見せた。テーマである「幻想表現」については、自らの解釈で論述したことが評価された。

本論文では、制作上の技術的な研究を発端に、寒冷紗を使った作家や作品の検証や分析、実験の成果を踏まえ、自作品の幻想表現の裏付けへと論考を進めていった。構成や論理も一貫しており、検証、分析等も十分納得できるものであり、学位に相応しい論文として、審査委員会で承認された。

 

作品審査要旨

審査展覧会においては、「奏想」(2100㎝×6000㎝)、「薫風」(2100㎝×6000㎝)を中心に、8点の作品が並んだ。論文における第3章の実験は、これらの作品の礎になっていることが十分窺える。また、第2章での近代から現代における寒冷紗を使った作家や作品の検証は、作者の独自性を示す上で重要な論考であった。いずれの作品も「重層性」「透過性」「定着性」「素材性」といった寒冷紗の特質が十分に画面に生かされている。「薫風」においては、技法・材料的にも高い完成度を見せている。表現要素の取り扱いにおいては、作品によって変化しているが、第4章、第5章において自らの作品に「幻想」の意味付けをしていったことは、今後、制作する上での発想の裏打ちになる。同時に今後一層深くテーマを掘り下げることを可能にすると思われる。表象が多少パターン化する傾向があるが、自在に色彩、空間をあやつり、「薫風」に関しては、イメージが作品自体から発せられるとの評価を受けた。審査展覧会作品について、十分に博士の学位に相応しいものであると審査委員会では高く評価された。

 

総合審査結果の要旨

論文においては、先行研究を踏まえているが、質量とも十分に凌駕するものと評価された。第2章の作家作品の実地調査の内容は特筆すべきであり、今後の基本的な資料となっていくものと考える。第3章の実験成果は、制作者が求める実験として意義深く充実したものであった。言葉としての「幻想」についての解釈は、不十分であるとの感想が持たれたが、今後、長く自身の命題として取り組んでいくことになり、作品を通して深く追究が進むことを望む。論文と作品との関連は、実技系博士にとって重要な課題であったが、しっかりとその意を汲んでおり、相互性は十分に図られていると評価できる。作品は、前述したように完成度の高い作品が並び、現時点での集大成であると言える。
口述試験においては、自分の課題、立ち位置を理解しており、探究心、真摯な学習態度が窺いとれ、今後の創作、研究活動がおおいに期待できる。

以上のように、当学位審査委員会では、平良優季の論文、作品を総合的に審査し、博士の学位を授与するに相応しいものと判断した。

 

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