沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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近代における琉球絣の産業化に関する研究

氏名(本籍)
新田 摂子 にった せつこ(沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
論文博士6
学位授与日
平成29年9月27日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
近代における琉球絣の産業化に関する研究
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博士論文全体  論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 柳 悦州[主査]
  • 教授 小林 純子
  • 教授 森 達也
  • 祝嶺 恭子(本学名誉教授)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • 論文審査要旨

論文要旨

本研究は、近代における琉球絣の産業化について明らかにするものである。そのために本研
究は、廃藩置県以降沖縄戦までに生産された琉球絣と日本本土の綿紡織業との関連性に着目し
た。明治期以降、日本本土の綿紡織業は、西洋からの近代技術を積極的に導入し、輸出向け工
場制機械工業へと展開した。一方で、これまで国内産の綿織物生産を行っていた在来綿織物産
地は、進んだ近代技術に淘汰されるのではなく、紡績糸や高機、化学染料を積極的に導入し、
商品生産を拡大させた。そして、近代における琉球絣も、日本本土の在来綿織物産地と同様に、
琉球国内での自家用生産から、日本本土への移出向け商品生産へと大きく転換したのである。
このような琉球絣と日本本土の綿紡織業との関連性を分析することで、これまで「美しさ」や
「伝統」などの視点から理解されてきた琉球絣に新たな視点を加えることができる。

また、これまでの琉球絣に関する先行研究は、現在の琉球絣の産地である南風原の琉球絣を
中心に行われてきた。そこで本研究では、近代に琉球絣の主産地であった小禄に焦点をあて分
析を行った。この戦前に小禄で生産されていた小禄クンジーは、戦後は産業として復興するこ
となく現在に至っている。そのため本研究により、これまでの南風原を中心とした琉球絣研究
に、南風原以前の近代史を加えることができる。

本論文は、はじめに、第1章から第6章、おわりにで構成されている。第1章は、琉球絣の
商品化と日本本土の綿紡績業との関連性について分析を行った。始めに、明治期以降の西洋の
紡績技術の摂取によって、日本本土の綿紡織業が工場制機械工業化する過程を整理した。さら
に、沖縄の織物が、琉球王国時代の自家用生産から、明治期以降日本本土移出向け商品として
産業化していく過程を、日本本土の綿紡織業と照らし合わせながら明らかにした。

第2章は、綿糸の手紡糸と紡績糸の判別方法について分析を行った。琉球絣の原料である綿
糸は、明治末には手紡糸から工業生産された紡績糸へと変化した。この手紡糸と紡績糸の判別
方法を分析し、織物資料の生産年代特定のための指標とした。この判別方法により、日本民藝
館所蔵沖縄関係染織品と小禄クンジー資料の製織年代を明らかにした。

第3章は、絣織物産地への高機の導入について分析を行った。始めに、日本本土の在来織物
産地への高機の普及について、高機の導入時期と国内産紡績糸の導入との関連性を指摘した。
そして、沖縄における高機の導入先として、実業補習学校や徒弟学校、綿織物工場を取り上げ
た。最後に、『沖縄県統計書』より、沖縄における職工の分類と織機台数の分析を行い、高機の
生産性について明らかにした。

第4章では、日本本土の絣技術の展開について分析を行い、日本本土の在来織物産地の絣織
物の分類を行った。始めに、日本本土の絣織物リストより、絣織物産地を絣織物の素材や技法
によって4つに分類した。さらに、日本本土の絣織物がどのような商品として流通していたか
を調べるために、白木呉服店が発行したカタログ冊子「白木タイムス」に所収された絣織物の
写真の分析を行った。以上のような日本本土の絣織物の分類と、当時販売されていた絣織物の
分析を通して、沖縄の絣織物が進出していった日本本土の絣織物市場について明らかにした。

第5章では、移出向け琉球絣の特徴について分析し、琉球絣イメージについて考察した。始
めに、1903 年(明治36)の第5回内国勧業博覧会に出品された琉球絣の絣模様の分析を行った。
また、琉球絣と第5回内国勧業博覧会に出品された日本本土の他府県の絣織物の絣模様と比較
し、琉球絣のブランドイメージについて考察した。最後に、近代における沖縄文化への相反す
るまなざしから、琉球絣のブランドイメージについて分析を行った。

第6章では、小禄クンジー資料の絣模様の分析を行った。沖縄県内に残されている小禄クン
ジー資料の分析により、沖縄県内向け琉球絣の絣模様の特徴を明らかにした。第5章で取り上
げた『絣之泉』は、県外移出向け商品である。そのため、移出向け商品の絣模様は、消費者で
ある日本本土の好みや流行に適う商品を生産する必要がある。その結果、県外移出向け琉球絣
には、沖縄独自の御絵図柄などは生産されなかった。しかし、沖縄に残された小禄クンジー資
料は、個人や小禄クンジー研究会による所蔵品で、沖縄の人々の手元に残った自分達のための
着物である。この小禄クンジーの絣模様を分析し、近代の琉球絣の絣模様の特徴について考察
した。

以上のように、琉球絣は、明治期以降の日本本土の綿織物産地の産地形成にともない、日本
本土から紡績糸や高機、絣模様を移入し、本土移出向け商品として産地形成された。近代にお
ける移出向け琉球絣は、今日の沖縄らしさを意識した絣模様とは異なっているのである。そし
て、現代の「伝統工芸品」としての琉球絣のありようは、戦後南風原の復興とともに形成され
ていったと結論づけられる。

英文要旨

A Study on the Industrialization of Ryukyu Kasuri in Modern Okinawa (1879 -1945)

 

This thesis examines the industrialization of Ryukyu kasuri  (cotton ikat textile)in modern Okinawa (1879 -1945) by analyzing the impact of the development of a cotton textile industry and market in mainland Japan on the production of Ryukyu kasuri . Itconsists of an introduction, six chapters, and a conclusion.

The introduction discusses a literature review and the objectives of the thesis. In much of the literature on Ryukyu kasuri,  emphasis is placed upon their “tradition” and “aesthetics” within the context of Okinawa. Focus is often limited to the Ryukyu kasuri produced in Haebaru, which is regarded as the center of Ryukyu kasuri  production today. Therefore, analyzing the impacts of the textile industry in mainland Japan on the less-studied Urukukunji  or the Ryukyu kasuri  produced in Oroku places the understanding of Ryukyu kasuri  in a broader context.

Chapter 1 provides an overall view of the relationship between the development of a cotton textile industry in mainland Japan and the industrialization of Ryukyus kasuri . In the early Meiji period, local textile traditions in mainland Japan began to incorporate the technology of spinning and weaving from the West, and a factory-based textile industry emerged. Meanwhile in Okinawa, local textile traditions adopted new technologies from mainland Japan, and the production of Ryukyu kasuri , which was exclusively for domestic use, was transformed into an industry oriented for export to mainland Japan.

Chapter 2 discusses methodologies to distinguish machine-spun yarn from hand-spun yarn and their application to date the Okinawan textiles collected by the Nihon Mingeikan (the Japan Folk Crafts Museum) and Urukukunji . It is argued that by the end of the Meiji period, machine-spun yarn replaced hand spun-yarn in Okinawa.

Chapter 3 examines the introduction of the treadle loom to local textile traditions. In mainland Japan, the introduction of the treadle loom took place in association with the introduction of machine-spun yarn. In Okinawa, the treadle loom was introduced through “supplementary vocational schools,” “apprentice schools,” and cotton fabric factories.

Chapter 4 discusses the development of kasuri  techniques and the kasuri  market in mainland Japan, to which Ryukyu kasuri  were exported. Four categories of kasuri production areas were identified based upon techniques and materials used. Photographs of kasuri  in the catalogue booklet Shiraki taimusu  are analyzed to highlight the characteristics of the kasuri  market in mainland Japan.

Chapter 5 examines the features of Ryukyu kasuri  exported to mainland Japan and the images associated with them in Okinawa. The Ryukyu kasuri  exhibited at the Fifth Domestic Industrial Exposition held in 1903 are compared with kasuri  from other prefectures. It is pointed out that those Ryukyu kasuri  did not have miezugara  or traditional Okinawan/Ryukyuan patterns. It is argued that in modern Okinawa, the contradictory gaze of the Okinawa people upon their own culture shaped their “images” of Ryukyu kasuri .

Chapter 6 analyzes the kasuri  patterns of Urukukunji  kimono preserved by individuals and the Urukukunji Study Group in Okinawa. Those Urukukunji  kimono were woven and worn by local Okinawan people before the war and their kasuri  patterns were different from those of the Ryukyu kasuri  exported to mainland Japan.

The conclusion presents a summary and arguments. It is argued that the Ryukyu kasuri  produced in modern Okinawa as export commodities stand in marked contrast to the present Ryukyu kasuri : while the latter incorporate patterns expressing “Okinawaness,” the former did not. It is also argued that the present Ryukyu kasuri  recognized as a “traditional craft” was indeed created after the war as the craftswomen/men in Haebaru endeavored to revive their textile tradition.

論文審査要旨

本論文は、近代における琉球絣の産業化について、日本本土の木綿絣産業との関連性に注目しながら、様々な文献を活用するとともに、写真などの史料の分析を行い、さらに聴き取り調査と実際の織物資料の調査分析を行っている。さらに対照資料の製作と分析、小禄クンジー資料の調査と検証資料の作成と分析をも行うなど、通常の研究方法にとどまらず、実際の織物資料を作成し検証を重ねていくという綿密で特色ある研究姿勢によって構成されている。

論文は、「序論」「第1章 日本本土の木綿紡織業と琉球絣の商品化との関連性」「第2章 手紡糸と紡績糸の判別」「第3章 絣織物産地への高機の導入」「第4章 日本本土の絣技術の展開と絣織物の分類」「第5章 移出向け琉球絣の特徴と琉球絣イメージ」「第6章 小禄クンジー資料の絣模様の分析」「結論」の全237ページからなる。また付録資料として、筆者自身が製作した第2章の対照資料12点、第6章の検証資料2点が付く。

序論では先行研究を挙げながら、従来の織物史は一定地域のみの織物史として捉えられているのに対し、本論文では、日本本土の綿織物産業と比較しながら、産業として琉球絣を捉えることで、新たな視点を確立しようとしたと述べている。また筆者自身が資料を製織し分析検証しようとする実証的な研究手法を持つことを特徴としてあげている。

第1章では、琉球絣という言葉がいつ頃からどのような理由によって使われるようになったのかを最初に示している。次に日本本土の木綿紡織業の産業化について、江戸時代の木綿紡織産業、明治期以降の木綿紡織産業の展開について概観している。また明治20年代以降、和服向け太番手紡績糸が日本で生産されるようになり手紡糸と置き換わっていく過程を明らかにした。沖縄の木綿織物産業も、本土の動向とリンクして生産量が増大し、それに伴い本土向け商品としての品質の規格化がなされたことを明らかにした。

第2章では、手紡糸と紡績糸を判別することが製作年代を推定する重要な手がかりとなるとし、手紡糸と紡績糸の判別方法を実証的に明らかにしている。木綿糸の番手、撚りの向き、糸幅のムラという3つの指標より、その判別が行えることを示した。さらに手紡糸と紡績糸を使用し対照資料を自身で製織し、糸幅の標準偏差を求めた。さらにその対照資料の標準偏差は、小禄クンジー資料と日本民藝館所蔵木綿織物の標準偏差とほぼ一致することを明らかにし、判別方法の妥当性について検証している。手紡糸と紡績糸の判別方法を3つの指標より確立したことは本論文の大きな成果である。

第3章では、沖縄における高機の普及について検討している。沖縄の実業補習学校や徒弟学校への高機導入に伴う高機の普及、さらに木綿織物工場への力織機や自動織機の導入についても、新聞資料や統計資料等から丹念に研究が行われている。生産反数と織機の台数から、織機1台あたりの木綿織物の生産反数を導き出し、高機の普及による琉球絣産地の形成についても言及している。

第4章では、日本本土の絣織物産地の絣技術と絣織物の分類を行っている。日本本土の絣産地の成立と展開について、絣技法と開発の年代、生産量の推移等を多くの文献から明らかにした。『白木タイムス』を分析し、日本の絣織物は①大島風蚊絣②木綿紺絣③銘仙風絣④白地絣という4つのカテゴリーに分けられ、琉球絣は木綿紺絣に分類されることを明らかにした。

第5章では、移出向けの琉球絣の特徴と、琉球絣イメージについて明らかにした。移出向け琉球絣は、沖縄の伝統的な絣模様ではなく、日本本土の絣模様と共通する模様が多く、産業的な絣模様を産出していたことを明らかにした。

第6章では、小禄クンジーの絣織物を資料とし、その絣模様の特徴を分析し、伝統的な御絵図柄をアレンジメントした模様が織られていたことを明らかにした。さらに、小禄クンジー資料の1点をとりあげ、手結絣から絵図絣への変化等を実証的に明らかにするため、筆者自身が絣を作り絣織物に織り上げて研究を行った。その結果、絵図絣による模様のアレンジメントと作業の効率化、織作業内容の質的な変化等を明らかにでき、本論文の大きな成果となっている。

本論文では、文献による工芸史研究にとどまらず、第2章と第6章のように実証的な研究を行っている。その結果、手紡糸と紡績糸の判別方法を明確に示したこと、手結絣と絵図絣の相違について作業効率だけではなく、織り手や産地に求められる質的な相違を明らかにした点など、新たな知見を独自の方法により明確にした。また、統計資料、文献や写真資料を使い、各章ごとに具体的な成果を大きくあげている。従来の工芸史研究を凌駕する総合的な研究として高く評価できる。本論文の問題点としては、第5章の琉球絣のブランドイメージについて、さらに多角的な資料を集めることで、より具体的なイメージが捉えやすいと指摘された。

総括的には、近代における琉球絣について、高く評価できる論文として仕上がっている。本学位論文審査委員会では、本論文について独創的で高度な研究内容であり、今後の研究に貢献できる論文であると評価し、博士の学位に相応しいと判断した。

 

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