論文要旨
本研究の目的は、先行研究を踏まえつつ、ベルントとヒラ・ベッヒャーの作品の展開とその特質についての分析を軸に、写真の歴史を考察した上で、さらに、「ベッヒャー・シューレ(Becher School/Becher Schule)」と呼ばれるベルントとヒラ・ベッヒャーらの写真の系譜から派生した美学的価値を探究するものである。また、本論文では、ベッヒャーたちの教育方法を明らかにすることで、ベッヒャーたちのもとで学び、のちに「ベッヒャー・シューレ」を形成することになる教え子たちの作品についても検討している。
第一章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーの、芸術家としての自己形成とその生涯の展開を調査することで、彼らの写真創作の原点を探求する。彼らは学習、出会い、結婚、そして仕事まで、生涯支え合い、助け合ってきた。1960年代から1970年代にかけて、彼らは旅をして写真を撮り、多くの展覧会に参加し、1970年には写真集『匿名的彫刻――工業的建築物のタイポロジー』を出版し、彼らのタイポロジー写真の基礎を築いた。写真創作のために新しい分野を創り出したのである。
第二章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーが活動した時代の写真の変革に関する研究を通じ、現代美術史における彼らの位置を探求する。主観主義写真が主流だった戦後西ドイツでは、戦間期の新即物主義写真を創作の方向として選んだ。一連の展覧会に参加することで、彼らの写真作品は1960~70年代のミニマリズムとコンセプチュアル・アートの展開に組み込まれた。写真が芸術として認められなかった時代、彼らは他のアーティストとともに写真の限界を突破するための努力をした。
第三章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーの写真美学を分析する。彼らが採用する平面性、タイポロジー、シリアル、グリッド、デッドパンの要素に焦点を当て、これらが彼らの作品に与える独自な芸術的影響を明らかにする。章全体を通して、これらの美学的手法が美術と写真においてどのように表現され、芸術的な革新に寄与しているかを紐解いている。
第四章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーが、デュッセルドルフ美術アカデミーでの教育活動と、その指導が教え子たちに与えた影響に焦点を当てる。彼らの教育が、独自の視覚言語を持つ影響力のあるアーティストを生み、「ベッヒャー・シューレ」と呼ばれるグループが形成された。また、「ベッヒャー・シューレ」という用語の由来とその変遷について解説している。最後に、筆者自身の作品について触れつつ、ベルントとヒラ・ベッヒャーから受けた影響に基づき、人工物と植物の相互作用をテーマにした創作活動を展開し、これらのテーマを通じて観者に思考の促進と対話の深化を図ることを目指していることを述べた。
結論では、第一章から第四章までのベルントとヒラ・ベッヒャーの芸術実践と工業建造物の写真分野での革新的な貢献をまとめ、結論づける。彼らは工業遺産の系統的な記録を通じて、忘れ去られた建築に新しい視覚的および美学的価値を与えるとともに、写真芸術の表現や機能の新たな可能性を切り開いた。彼らの実践は芸術的な表現と思考の深さにおいて独自性を発揮している。この論文では、ベッヒャーたちの方法論が後世のアーティストに与えた影響と啓発について探求し、彼らの芸術遺産が現代および未来の芸術実践において持続的に重要であることを強調している。
ベルントとヒラ・ベッヒャーは過去に根ざし、伝統を否定することなく、未来を指し示す。ヨーロッパにおける他の写真の動向と比べ、彼らと学生たちの写真は独特な存在であり、現代写真の変革の交差点に位置している。彼らの写真作品は生活の温かみや残酷さを記録せず、また興味深い瞬間を記録していない。しかし、彼らの理性的に見える写真の裏には、写真家たちは生活に対する情熱と視線が潜んでいるのである。
英文要旨
A Study on the Photography of Bernd and Hilla Becher and the Artistic Expressions Associated with It
This study aims to explore the aesthetic values derived from the photographic lineage of Bernd and Hilla Becher, known as the “Becher School/Becher Schule.” This is achieved through the basis of prior research and an analysis of the development and characteristics of their works. The dissertation also examines their educational methods and the works of their students, who later formed the “Becher School.”
Chapter One explores the origins of the Bechers’ photographic creations by investigating their self-formation as artists and the development of their lives and career, detailing their education, encounter, marriage, and collaborative work. The couple traveled, photographed extensively, and participated in numerous exhibitions from the 1960s to the 1970s, and they published their photobook Anonymous Sculptures: A Typology of Technical Buildings in 1970, laying the foundation for their typological photography.
Chapter Two investigates the Bechers’ place in modern art history by studying photographic transformation during the period in which they were active. In post-war West Germany, where subjective photography had dominated, they chose the new objectivity from the interwar period as their creative direction. By participating in a series of exhibitions, their photographic works were integrated into the developments of minimalism and conceptual art during the 1960s and 1970s.
Chapter Three analyzes the Bechers’ photographic aesthetics, focusing on their use of flatness, typology, seriality, grids, and deadpan elements to highlight their unique artistic impact on art and photography.
Chapter Four focuses on Bernd and Hilda Becher’s teaching at the Düsseldorf Art Academy and the impact their teaching had on their students. Their education produced influential artists and led to the formation of the “Becher School,” whose origin and evolution is also explored. The chapter then culminate in the author’s own creative works, which are inspired by the Bechers and focus on the interaction between artificial objects and plants, aiming to foster deeper thought and dialogue among viewers.
The conclusion summarizes Bernd and Hilla Becher’s artistic practices and innovative contributions to the photography of industrial structures, as discussed in chapters one to four. Through the systematic documentation of industrial heritage, they endowed forgotten architecture with new visual and aesthetic values, opening up new possibilities in the expression and function of photographic art. Their work and practice was uniquely profound in artistic expression and thought. This dissertation explores the impact and inspiration of the Bechers’ methodology on subsequent generations of artists, emphasizing the enduring importance of their artistic legacy in contemporary and future art practices.
Bernd and Hilla Becher are deeply rooted in the past and point to the future without denying tradition. Compared to other European photographic movements, their works and those of their students’ hold a unique place at the crossroads of contemporary photographic transformation. Their photographs do not capture the warmth or cruelty of life, nor do they record interesting moments. However, beneath the apparent rationality of their images, there seems to lie the photographers’ passion and perspective on life.
論文審査結果
本研究は、先行研究や写真表現の歴史的展開を踏まえつつ、ベルントとヒラ・ベッヒャーの作品の展開とその特質についての分析を軸としつつ、さらに、「ベッヒャー・シューレ(Becher Schule/Becher School)」と呼ばれる系譜の、その美学的価値を探究するものである。また、本論文では、ベッヒャーたちの教育方法を明らかにすることで、「ベッヒャー・シューレ」の形成についても検討している。
第一章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーの、芸術家としての自己形成とその生涯の展開を調査することで、彼らの写真創作の原点を探求している。彼らは学習、出会い、結婚、そして仕事まで、生涯支え合い、助け合ってきた。1960年代から1970年代にかけて、彼らは旅をして写真を撮り、多くの展覧会に参加し、1970年には写真集『匿名的彫刻――工業的建築物のタイポロジー』を出版した。こうして、彼らがタイポロジー写真の基礎を築き、写真創作のための新しい分野を創り出したことが述べられている。
第二章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーが活動した時代の、写真の変革に関する研究を通じ、現代美術史における彼らの位置を探求している。主観主義写真が主流だった戦後西ドイツにおいて、彼らは、両大戦間の新即物主義写真を、その創作の源泉として選んだ。一連の展覧会に参加することで、彼らの写真作品は1960~70年代のミニマリズムとコンセプチュアル・アートの展開に組み込まれた。写真が現代美術の分野において芸術として認められなかった時代、彼らがいかに、他のアーティストらとともに写真表現のジャンル的限界を突破するための努力をしたのかが述べられている。
第三章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーの写真美学を分析している。彼らが採用する平面性、タイポロジー、シリアル、グリッド、デッドパンの要素に焦点を当て、これらが彼らの作品に与える独自な芸術的効果を明らかにしている。章全体を通して、これらの美学的手法が美術と写真においてどのように表現され、芸術的な革新に寄与しているかを紐解いている。
第四章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーが、デュッセルドルフ美術アカデミーでの教育活動と、その指導が教え子たちに与えた影響に焦点を当てている。彼らの教育が、独自の視覚言語を持つ影響力のあるアーティストを生み、「ベッヒャー・シューレ」と呼ばれる一群の作家たちが形成された。また、「ベッヒャー・シューレ」という用語の由来とその変遷についても、述べられている。最後に、筆者自身の作品について触れつつ、ベルントとヒラ・ベッヒャーから受けた影響に基づき、人工物と植物の相互作用をテーマにした創作活動を展開し、これらのテーマを通じて観客に思考の促進と対話の深化を図ることを目指していることが論じられている。
結論では、第一章から第四章までのベルントとヒラ・ベッヒャーの芸術実践と工業建造物の写真分野での革新的な貢献をまとめ、結論づけている。彼らは工業遺産の系統的な記録を通じて、忘れ去られた建築に新しい視覚的および美学的価値を与えるとともに、写真芸術の表現や機能の新たな可能性を切り開いた。
彼らの実践は芸術的な表現と思考の深さにおいて独自性を発揮している。この論文では、ベッヒャーたちの方法論が後世のアーティストに与えた影響と啓発について探求し、彼らの芸術遺産が現代および未来の芸術実践において持続的に重要であることを強調している。
こうした論文の内容と構成について、審査委員からは下記のような評価がなされた。
- このように、ベルントとヒラ・ベッヒャーの作品の展開とその特質について、年代を追って丁寧にまとめられた論文は少なく、通史として彼らの現代美術としての功績を辿ることに一定の評価ができる。
- 第一章の「芸術家としての自己形成とその生涯の展開を調査」から、彼らの生い立ちを、順を追って述べることで、その美学の源泉が語られており、彼らのタイポロジー写真の基礎を築いたことが明確に主張できている。
- 第二章では、「彼らが活動した時代の写真の変革に関する研究」とし、現代美術史における彼らの位置を探求することで、新即物主義写真の表現スタイルが、彼らの創作の方向として選ばれたことを論理的に考察した。写真表現が美術の一表現手段として認められ難かった時代に、彼らは他のアーティストとともに写真表現の限界を突破するために、いかなる努力をしたのかが、説得的に論じられている。
- 第三章はその撮影方法や、展示形式の歴史的展開から、彼らの美学的要素を抽出している。彼らが採用する平面性、タイポロジー、シリアル、グリッド、デッドパンの要素に焦点を当て、彼らの作品が芸術的な革新に寄与しているかを述べ、その形式的な側面をより明確にした。
- 第四章では、ベッヒャー自身のデュッセルドルフ美術アカデミーでの教育活動において、教え子たちが師であるベッヒャーの方法論を部分的に継承しつつ、独自の視覚言語を持つ影響力のあるアーティストを生み出したことが語られている。それらを踏まえて最終章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーの芸術実践と工業建造物の写真分野での革新的な貢献をまとめ、結論づけた。また同章の第4節では「私の写真創作」として、自身がベッヒャーから受けた影響を述べながら、その類似点と相違点を語ることで、自身の作品について現代美術の観点から明確に論じた。
- これらの論文を書き上げる上で、日本国内での調査は勿論、現地のドイツに赴いて、文書や図版などの資料収集をするかたわら、彼らが撮影した現場(彼らの活動から保存運動が起こった工場なども現存している)にて行われた実地調査が、論文において積極的に組み込まれている。
すなわち、膨大な資料の中から、①クロノロジカルな美術の展開の中での、彼らの業績を的確に捉え、また②その作品のスタイルや展示方法の形式を総合的に分類し、その要素を抽出しながら彼らの業績を明らかにし、③その後の後継者や自身を含めた現在に与えた影響を考察したことは明快であり、大胆に総括できていると言える。
また一方では、①引用文献の扱い方に統一性が欠けている、②図版の記述や使用法に修正が必要である、③固有名詞(地名、作家名など)の表記の一部に統一性が欠けている、などといった点が審査委員から指摘された。
審査委員会は以上の評価を総合して、本論文は博士の学位に相応しい内容であると判定した。
作品審査結果
学位審査展覧会(会期:6月8日(土)〜6月13日(木)場所:本学附属図書・芸術資料館第1展示室)に提出された研究作品を対象に、6月8日(土)11:00から審査を行った。作品展示は作品5シリーズを展示し、資料として展示目録を加えて配布し、展示発表を行った。
まず写真シリーズ「イノチ」は研究期間中に始めた初期の作品群であり、それぞれ大型の写真作品①〜㉚(単写真・594×420mm)、㉛(写真組・594×2408mm)、㉜(単写真・600×2000mm)と合計32点を展示した。本作品は亜熱帯地域における自然物(植物)と人工物の相互関係を、ベッヒャー夫妻のタイポロジー写真に導かれて芸術作品として提示することを目的としているが、元来、床を見下ろすように観察した側溝の植物群を直接床に展示することによって、被写体と展示方法を一致させることで、その表現を効果的かつ的確に提示できた。それぞれ、単写真と組み写真として展示されたが、それはベッヒャー夫妻がかつて試演した展覧会へのオマージュでもあったと理解できる。また、㉝参考作品(43分50秒(繰り返し))は本シリーズを解説する目的で提示され、その役目を果たした。
次の写真シリーズ「海へ」は、①〜⑳(単写真・706×1068mm)、㉑(写真組・1118×1600mm)、㉒(写真組・1516×1118mm)の合計22点を展示した。これらは沖縄県内を流れる(主に沖縄本島南部の)整備された人工河川を撮影し、全て同じ構図となるように注意を払い、「タイポロジー写真」かつ「シリアル写真」の方法で撮影、展示された。これは、自然と人工の共存する河川について思考した作品であると解すことができる。輪廻という仏教思想を取り入れ、たとえ人工的に整備された河川であっても、いずれは
全て同じ海に流れるということを表現すべく、㉓(参考作品)として4分(繰り返し)のビデオ映像を解説の代わりとして提示した。
3番目の写真シリーズ「アキチ」は、①〜⑦(単写真・1118×1677mm)、⑧(写真組・1118×2230mm)合計8点を展示した。これは、沖縄県内に多数存在する、亜熱帯特有の草木の生い茂る空き地について思考した作品である。見過ごされがちなこのような場所を、「タイポロジー写真」の視点でとらえ直した作品である。
4番目の写真シリーズ「カベ」は、①(写真組・578×1118mm)、②〜⑦(単写真・508×2636mm)の合計8点を展示した。屋敷の周りを取り囲む外囲いも亜熱帯の地域にあっては、その湿潤さと気温、また石垣などの素材のゆえに蔦類、コケ類をはじめとする植物に支配される。これらも、植物と人工物の共生するこの土地の特徴と捉えられよう。
5番目の最後の写真シリーズは、「タキ」であるが、①〜⑩(単写真・600×600mm)と⑪(写真組・1118×1118mm)の合計11点を展示した。コンクリートで出来た土留擁壁水抜き穴から生える植物たちを、「タイポロジー写真」として多数撮影し展示した。
これらは全て、命無き人工物に、たくましく共生する自然の産物(植物たち)の姿をタイポロジーの視点から客観的に捉えたものとして観客に思考させることを促す試みである。申請者はこれを、「より深い文化的・哲学的な問題に触れ、(作者と)観客との間で豊かな対話と相互作用を促進する」ことを意図している。これはまさしくベルントとヒラ・ベッヒャーの芸術活動が、現代美術の観客たちに提示してみせた方法に通じている。
これら学位審査展覧会における芸術表現作品73点は、学位申請論文と密接に関連しており、本論文の調査、論考をもとに研究制作がなされている作品と考えられることは明快である。これらの作品は写真撮影と作品制作及び展示方法における高度な習熟度を示しており、現代写真芸術の研究が十分になされた完成度の高い作品であると判断できる。
また申請者は、日本写真芸術学会での学会誌第31巻・第2号での作品発表を始め、多数の展覧会でも個人、グループとして出品するなど、制作発表を精力的に行ってきた。提出されたシリーズ作品の質においても十分であることを評し、作品提出の要件である外部作品発表の実績を認めた。
以上のことから学位審査展覧会に提出された研究作品73点において、作品内容及び芸術表現研究の成果として博士の学位の授与にふさわしい質と量を示す芸術表現研究であると評価し、「研究作品の評価基準」に照らして基準を満たすものと評価した。
最終試験結果
審査委員会は、審査を実施するにあたり「沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科(後期博士課程)博士論文等審査基準」に基づいて、申請者・宋芸舟氏より提出された論文及び作品が要件を満たしているかについて審査を行った。まず、論文審査、作品審査、最終試験(口述)の成績素点はそれぞれ100点満点の85点以上を合格とすることを確認した。次に博士論文等審査基準に従って審査を行い、評価基準を満たしているかについて判定した。
その結果、論文審査及び作品審査についてそれぞれの審査委員全員一致で博士(芸術学)の学位に相応しいと判定した。また最終試験では、質疑応答によって審査を行い、申請者が当該研究に関する総合的な研究能力(制作能力を含む)を十分に有していることを確認した。
総合判定
最終試験終了後に審査会議を開き、4人の委員から提出された素点を集計した結果、論文、作品および最終試験の成績が合格点を超えていた。審査委員会は申請者が提出した論文と作品が、博士の学位を授与するに相応しい内容であり、博士論文等審査基準の評価基準を満たしていることから、総合判定を「合格」とした。