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ベルントとヒラ・ベッヒャーの写真とそれに連なる芸術の表現研究

氏名(本籍)
宋 芸舟
そう げいしゅう
(中華人民共和国)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博32
学位授与日
令和6年9月26日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
ベルントとヒラ・ベッヒャーの写真とそれに連なる芸術の表現研究
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審査委員
  • 教授 山田 聡
  • 教授 仲本 賢
  • 准教授 土屋 誠一
  • 倉石 信乃(明治大学大学院理工学研究科建築・都市学専攻総合芸術系 教授)

論文要旨

本研究の目的は、先行研究を踏まえつつ、ベルントとヒラ・ベッヒャーの作品の展開とその特質についての分析を軸に、写真の歴史を考察した上で、さらに、「ベッヒャー・シューレ(Becher School/Becher Schule)」と呼ばれるベルントとヒラ・ベッヒャーらの写真の系譜から派生した美学的価値を探究するものである。また、本論文では、ベッヒャーたちの教育方法を明らかにすることで、ベッヒャーたちのもとで学び、のちに「ベッヒャー・シューレ」を形成することになる教え子たちの作品についても検討している。

第一章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーの、芸術家としての自己形成とその生涯の展開を調査することで、彼らの写真創作の原点を探求する。彼らは学習、出会い、結婚、そして仕事まで、生涯支え合い、助け合ってきた。1960年代から1970年代にかけて、彼らは旅をして写真を撮り、多くの展覧会に参加し、1970年には写真集『匿名的彫刻――工業的建築物のタイポロジー』を出版し、彼らのタイポロジー写真の基礎を築いた。写真創作のために新しい分野を創り出したのである。

第二章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーが活動した時代の写真の変革に関する研究を通じ、現代美術史における彼らの位置を探求する。主観主義写真が主流だった戦後西ドイツでは、戦間期の新即物主義写真を創作の方向として選んだ。一連の展覧会に参加することで、彼らの写真作品は1960~70年代のミニマリズムとコンセプチュアル・アートの展開に組み込まれた。写真が芸術として認められなかった時代、彼らは他のアーティストとともに写真の限界を突破するための努力をした。

第三章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーの写真美学を分析する。彼らが採用する平面性、タイポロジー、シリアル、グリッド、デッドパンの要素に焦点を当て、これらが彼らの作品に与える独自な芸術的影響を明らかにする。章全体を通して、これらの美学的手法が美術と写真においてどのように表現され、芸術的な革新に寄与しているかを紐解いている。

第四章では、ベルントとヒラ・ベッヒャーが、デュッセルドルフ美術アカデミーでの教育活動と、その指導が教え子たちに与えた影響に焦点を当てる。彼らの教育が、独自の視覚言語を持つ影響力のあるアーティストを生み、「ベッヒャー・シューレ」と呼ばれるグループが形成された。また、「ベッヒャー・シューレ」という用語の由来とその変遷について解説している。最後に、筆者自身の作品について触れつつ、ベルントとヒラ・ベッヒャーから受けた影響に基づき、人工物と植物の相互作用をテーマにした創作活動を展開し、これらのテーマを通じて観者に思考の促進と対話の深化を図ることを目指していることを述べた。

結論では、第一章から第四章までのベルントとヒラ・ベッヒャーの芸術実践と工業建造物の写真分野での革新的な貢献をまとめ、結論づける。彼らは工業遺産の系統的な記録を通じて、忘れ去られた建築に新しい視覚的および美学的価値を与えるとともに、写真芸術の表現や機能の新たな可能性を切り開いた。彼らの実践は芸術的な表現と思考の深さにおいて独自性を発揮している。この論文では、ベッヒャーたちの方法論が後世のアーティストに与えた影響と啓発について探求し、彼らの芸術遺産が現代および未来の芸術実践において持続的に重要であることを強調している。

ベルントとヒラ・ベッヒャーは過去に根ざし、伝統を否定することなく、未来を指し示す。ヨーロッパにおける他の写真の動向と比べ、彼らと学生たちの写真は独特な存在であり、現代写真の変革の交差点に位置している。彼らの写真作品は生活の温かみや残酷さを記録せず、また興味深い瞬間を記録していない。しかし、彼らの理性的に見える写真の裏には、写真家たちは生活に対する情熱と視線が潜んでいるのである。

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