沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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近世から現代に至る琉球・沖縄の女踊りの身体的表現に見る変化と不変の美 ―昆劇『牡丹亭』から「柳」への抽象化プロセスに着目して―

氏名(本籍)
樋口 美和子
ひぐち みわこ
(三重県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博21
学位授与日
令和3年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
近世から現代に至る琉球・沖縄の女踊りの身体的表現に見る変化と不変の美 ―昆劇『牡丹亭』から「柳」への抽象化プロセスに着目して―
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博士論文全体  論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 仲嶺 伸吾[主査]
  • 教授 小西 潤子
  • 教授 久万田 晋
  • 教授 比嘉 いずみ
  • 花城 洋子(沖縄県立芸術大学元教授)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • 論文審査要旨

論文要旨

近世から現代に至る琉球・沖縄の舞踊の歴史的変遷については、研究の方法論が十分に確立されてこなかった。本研究は、認知科学的な「わざ」の伝承のあり方を参照し、「女踊り」の美的表現が身体的に伝承されてきた側面を踏まえ、舞踊家自身による身体感覚を交えながらその変化と不変について明らかにすることを試みるものである。

序章では、先行研究に関する検証をおこなった。琉球舞踊関連分野としては、芸能史研究、文学的研究があるが、動作そのものを扱うものではない。また、琉球舞踊を「客体化」した動作分析研究もわずかにあるが、歴史的変化に関する研究は立ち遅れている。これに対して、本研究では琉球舞踊の「わざ」が、実演家によって身体的に継承されてきたことを前提に、舞踊家でもある筆者自身の「暗黙知」としての身体表現を言語化することで「形式知」化し、可視化を行うという研究方法を提示した。

第1章では、『大島筆記』(1762)、『小唄打聞』(1790)、『演戯故事』(1808)、『薩陽往返記事』(1828)、『琉球関係文書二 元国事鞅掌史料』(1832)、『戊戌冊封諸宴演戯故事』(1838)、『校註 琉球戯曲集』(1838)、『丙寅冊封諸宴席前演戯故事』(1866)、 『丙寅冊封那覇演戯故事』(1866)、『躍番組』(1867)の10点の史料をもとに、近世琉球の女踊りで用いられた歌について、歌詞の変化を類型化した。その際、小道具に注目して踊りの演目を分類し、それぞれに伴われる歌詞の変化を系統図で示した。そして、伝承と共に生じる歌詞の変化の割合によって、バリエーション豊かな「増殖型」、ほとんど不変の「非増殖型」、一部が変化した「一部変形型」、女踊りの演目としては「断絶」したものの4つに類型化した。増殖型の「四つ竹」「かせかけ」「本嘉手久」は、近世以来広く普及したのに対して、非増殖型の「諸屯」「伊野波節」は、上演の機会が限られていたと見なせる。

第2章では、現代において、場によって女踊りの各演目の「上演率」が異なることに注目し、その理由を動作の「難易度点」から明らかにした。そして、難易度点は、琉球舞踊コンクールの各課題曲指定と関係することを示した。難易度点の算出方法は、舞踊家である筆者が「暗黙知」として認識する動作のまとまりで分節し、各分節に「わざ」を要する動作の数を加点した合計点とした。そして、各演目について難易度点、上演時間から位置づけ、場ごと(国立劇場、沖縄県芸術祭、沖縄県かりゆし芸能公演、独演会、国立劇場おきなわ)における上演率を図示した。その結果、動作の難易度点は、沖縄県内の新聞社が主催するコンクールの各賞(グレード)の課題曲指定とほぼ相関関係にあること、国立劇場や独演会ではグレードの高い課題曲「諸屯」、「伊野波節」の上演率が高いのに対し、国立劇場おきなわでは、各演目間における上演率の差は小さいという動向を明らかにした。

第3章では、第2章での分析結果から難易度が高いことが明らかになった「柳」をとりあげた。「柳」の中核をなす≪柳節≫は、禅の思想に起因すると解釈されてきたが、「柳」で用いる柳、牡丹、梅の3つの小道具は、同時期に中国で流行し、琉球人も観劇した記録のある昆劇『牡丹亭』に共通する。小道具のもつ象徴性をはじめ、舞台構成や動作についても、映像の比較分析により、両者の共通点が明らかになった。さらに、《柳節》の「人はただ情け」の歌詞には、『牡丹亭』の劇作家・湯顕祖の陽明学からの影響も見いだせる。近世琉球舞踊は、「情」という人間の内面を抽象化し、昇華する表現手段でもあった可能性について論じた。

第4章では、沖縄各地の「村踊り」における女踊りの上演実態をもとに、近世琉球舞踊の地方への伝播と伝承について検証した。その結果、村踊りの演目として「増殖型」(第1章参照)の演目が多く継承されていることが明らかになり、これらが地方でも上演機会の多い演目であったことがわかった。また、村踊りでは、動作の多様化が見られることがわかった。

第5章では、『躍番組』(1867)に3曲構成の歌詞と節名が記されている近世琉球舞踊「女躍り 花加籠」の舞台化の試みについて論じた。この演目は、2曲目が≪柳節≫であり、女踊り「柳」の系統にあたる(第1章)が、現在は伝承されていない。また、渡嘉敷流以外の「柳」は2曲構成に変化している。「女躍り 花加籠」では、近世琉球舞踊の表現や様式が残存する渡嘉敷流や村踊りの動作組立や衣装、小道具等に見られる要素を取り入れた。また、近世琉球における舞台構造と幸喜「柳」の事例をもとに、「歌い出し」からの登場を試みた。以上により、史料の情報をもとに、現代に継承されている琉球舞踊や村踊りの「わざ」で補完し、舞台化した。

英文要旨

The changes and continuities in the aesthetics of bodily expression in “Onna-Odori” from early modern Ryūkyū to contemporary Okinawa: Abstraction in the process of inter-genre transformation from the Kunqu opera Botantei to the Ryūkyūan dance “Yanaji”

The objective of this research is to clarify the changes and continuities in the aesthetics of bodily expression in Onna-Odori (women’s dance) through the physical senses of the dancers themselves, referring to the perspective of cognitive science regarding handing down the waza (techniques) while taking into account the aspects that have been transmitted physically.

In the Preface, the author presents the background for her research. While there are a few types of research on physical movement analysis conducted by “objectifying” Ryūkyū dance, research on its historical changes lags. In contrast, based on the premise that the waza of Ryūkyūan dance has been physically inherited by its performers, this investigation presents a research method in which the author, who is also a dancer, establishes “formal knowledge” by verbalizing her physical expression as “tacit knowledge,” thereby visualizing it.

In Chapter 1, the author categorizes the changes in lyrics of songs used in early modern Onna-Odori, based on ten historical documents. As a result, four different trajectories are identified: proliferated, non-proliferated, partially altered, and extinguished dances. While the proliferated types have spread widely since the early modern period, the non-proliferated ones have had limited performance opportunities.

Chapter 2 focuses on the fact that the frequency of each performance of Onna-Odori differ by venue in the present age, and that the reasons for this lie in the difficulty of the physical movements. It was found that the difficulty level approximately correlates with the assigned pieces for each grade in competitions and that the frequency of performance of assigned pieces for higher grades was greater at the National Theatre of Japan and in individual recital, while the difference in frequency among the pieces was smaller at the National Theatre Okinawa.

Chapter 3 highlights “Yanaji.” The three props—willow, peony, and plum—used in “Yanaji” are the same as those used in the Kunqu opera, The Peony Pavilion (牡丹亭), which was popular in China at the same time, and which Ryūkyūan people are also reported to have seen. Comparative analysis of video footage reveals similarities in the symbolism of the props as well as the stage structure and movements. In addition, the author discusses the possibility that early modern Ryūkyūan dance was a means of expression that abstracted from and sublimated the inner world of human emotion.

Chapter 4 examines the propagation and transmission of early modern Ryūkyū dances to various localities based on the actual situation of Onna-Odori performed in Mura-Odori (village dance) in various parts of Okinawa. From this, it is clear that many performances of the “proliferated type” were inherited as performances of Mura-Odori, and that these were ones that had many performance opportunities in rural areas.

In Chapter 5, the author discusses her attempt to stage the early modern Ryūkyūan dance “Onna-Odori Hanakago,” the lyrics of which are taken from three songs in the “Odori Bangumi” (1867). In “Onna-Odori Hanakago,” the author incorporated elements found in the assembly of physical movements, costumes, props, etc. in the Tokashiki Ryū and Mura-Odori that still retain the expression and style of early modern Ryūkyū dances. The author combined the above information from historical documents with the waza of Ryūkyūan dances and Mura-Odori that have been handed down to the present day, and made them into a stage performance.

論文審査要旨

本研究は、舞台作品の新たな創造に向けて、琉球舞踊古典女踊りにおける美的表現の変化と不変の側面について論じることを目的する。そのために、琉球王国時代から近現代の沖縄および東アジア(とりわけ、中国の昆劇『牡丹亭』)の古典的な芸能、沖縄県内各地に分布する関連の民俗芸能をとりあげ、それらの歴史と現在に至る伝承について分析考察を行ったものである。豊富な史料や文献研究、民俗芸能のフィールドワーク、認知科学的な身体感覚に基づく分析など、多角的かつ舞踊実技の実践を活かした視点と方法論によって考察を行っている。

論文は、序章を含む全7章で構成されている。第1章では、史料から近世琉球舞踊における女踊りの演目をあげて小道具によって同定すると共に、それぞれの歌詞の伝承による変化から「増殖型」「非増殖型」「一部変形型」「断絶」に類型化している。そして、かつて増殖型の「四つ竹」「かせかけ」「本嘉手久」などに関心がもたれていた一方、現代高く評価される「諸屯」「伊野波節」は上演の機会が限られていたことを明らかにした。第2章では文献資料をもとに、現代の古典女踊り12演目について、東京都の国立劇場、沖縄県芸術祭、沖縄県かりゆし芸能公演、独演会、国立劇場おきなわ自主企画公演での上演実態を整理分析するとともに、各演目の動きから難易度を割り出した難易度と上演の場との関係を明らかにした。第3章では、故・比嘉清子が1967復活上演した一部変形型の「柳」を取りあげ、その象徴性を明らかにしている。籠の中から柳、牡丹、梅の3つの小道具を次々と出して舞う「柳」は、柳節の解釈により渡嘉敷守章ら舞踊家によって「自然の摂理」や「道理」を表現すると解釈されてきた。これに対して、柳、牡丹、梅が中国の代表的な昆劇『牡丹亭』を象徴する植物であることに注目し、「柳」の所作の一部を『牡丹亭』の主人公の動きと対照することで、新たな解釈を見出している。第4章では、沖縄県内各地の村踊りにおける女踊りの上演実態から、地方に伝播した近世琉球舞踊が「増殖型」の演目であったこと、地方の「柳」の多様性について論じた。第5章では、琉球舞踊古典女踊り「柳」、渡嘉敷流や村踊りにおける「柳」を参照し、3部構成による近世琉球舞踊「女躍り 花籠」の舞台化の試みについて述べた。

以上のように、本研究は組踊と比べて先行研究が豊富とは言い難い琉球舞踊古典女踊りについて、舞踊実技の立場から時間的、空間的に大きいスケールによって問題設定したことは、高く評価できる。一般に舞踊のテーマは具体的あるいは抽象的であれ、舞踊作品名に反映することが多くみられるが、第1章において小道具名が演目名となっている点に注目して踊りを分類し、琉球王国時代の史料の渉猟によって歌詞の変化を系統図としてまとめたことは、今後の研究における基礎資料として有効であり、高く評価できる。第2章おける舞踊の「難易度」を導いた方法論は、客観性の担保という点でやや課題が残るものの、今後の舞踊研究に大きな示唆を与える。第3章で、琉球舞踊古典女踊り「柳」について昆劇「牡丹亭」と比較して、その影響の可能性に言及していることは大変興味深い。ただし、動作分析におけるエビデンスとした数量的なデータや写真データの表示方法については、分析における立ち位置を明記するなどによって工夫し、客観性に乏しい印象を与えないようにすることが求められる。また、舞踊の動作分析そのものが主でなく、二次的にその方法を取り入れて言及しているために、考察においては一般的な記述に留まった点や、作品をひとつの「全体構造」として把握・分析する観点にやや欠けている点については、今後改善の余地が認められる。琉球舞踊古典女踊りと演劇との関連性については、言葉と身体の動きの接点は何か、表現動作はどのように作られるか等々の興味深い課題があることから、本研究を基礎とした今後の研究の発展の可能性が大いに期待できる。

演奏審査結果

樋口美和子氏の学位審査演奏会(令和3年1月8日17:00~18:30、奏楽堂ホール)は、「若衆躍 手花」(『躍番組』より)、琉球舞踊古典女踊り「柳」、「女躍り 花加籠」(『躍番組』より)の3演目から構成されたリサイタルであった。3演目の選択および上演には、「身体的に伝承されてきた変化と不変の美を明らかにしたい」という博士学位申請論文の目的が反映されていた。各演目は、博士学位申請論文第1章で明らかにした近世琉球舞踊における小道具による演目の同定、歌詞の伝承変化からの「増殖型」「非増殖型」「一部変形型」「断絶」という類型化に関連する。史料等では得られない過去の動きについて、可能な限り忠実に史料に沿って振付を行うという姿勢が一貫して見られた。また、現行の琉球舞踊古典女踊り「柳」と樋口氏振付による他の2演目の扮装、身体使いを顕著に対比させることで、琉球舞踊における歴史的変化の解明に挑もうとする態度が示された。また、充実したパンフレットにおける作品解説や上演の合間に提示されたパワーポイント資料によって、博士学位申請論文との関連性が示され、舞台だけではわかりづらい衣装や小道具、髪飾りの説明がなされた点も、学審査演奏会のあり方として高く評価できる。

各演目については、次のように評価する。まず、現在、伝承例が少ない「若衆躍 手花」については、各分野の研究者から意見を聴取し、衣装・小道具・髪飾りなど詳細部分まで琉球王朝時代における上演実態を参照した振付を行った。ただし、史料に照らし合わせると、複数の踊り手による上演形態を意識しての振付が望ましいこと、また、10代前半の子どもである若衆の身体的特徴を踏まえた所作とすることが、今後の課題として浮き彫りになった。琉球舞踊古典女踊り「柳」は、博士学位申請論文において、昆劇『牡丹亭』に登場する植物もモチーフの合致を見出したことを踏まえ、恋物語として新たな解釈で上演された。≪中城はんた前節≫≪柳節≫の2曲構成で、一般的に演じられた重厚感のある「柳」とは大きく異なり、全体が浮きたつような雰囲気であった。身体表現の習熟度が見られたが、これまでの解釈を大きく覆す内容であることから、今後さらに多角的な知見によって検証することが望まれた。「女躍り 花加籠」は、「琉球人舞楽御巻物」を参考にした衣装・小道具を用いたこと、ガマクを使わない動作を心掛けたことなど、近世琉球における舞踊を意識した内容の上演であった。「女躍り 花加籠」は、博士学位申請論文の第3章、第4章における諸舞踊の比較考察をふまえた振りや構成となっていた。特に、昆劇『牡丹亭』と古典女踊り「柳」における「独特な足使いの所作」の類似性が、振付で強調されていた。

これまでの中国と琉球、薩摩の支配関係に基づく歴史観に対して、本研究において提示した琉球舞踊古典女踊り「柳」と『牡丹亭』との影響関係を直接示す史料はまだ乏しい点で今後の課題となるが、舞踊実技の実践の立場からの果敢な挑戦であり、琉球舞踊の振付・創作において今後の展開に寄与することから、評価基準の5)演奏史を踏まえた時代性を反映しており、国際的に評価されうる内容が含まれていると見なせる。

最終試験結果

最終試験(口述)(日時:令和3年1月9日 14:00~15:30 場所:一般教育棟・管理棟2階会議室)
申請者に対して提出論文の概要を口頭で述べてもらった後、論文担当教員2人、実技担当教員2名、論文・実技両方担当した教員1名それぞれ専門的立場から質疑応答を行った。
まず、研究の概要について簡潔に説明できるかを確認したところ、適切な回答が得られた。
次に、提出論文及び研究演奏についての内容に関する質疑応答を行い、論文、研究演奏ともに総合的な理解力があると判定した。

〈総合判定〉
学位審査委員会は、審査にあたり芸術文化学研究科「博士論文等審査基準」に基づいて、申請者より提出された論文及び研究演奏が要件を満たしているかを審査した。
論文、研究演奏、最終試験(口述)の成績素点は各100点満点の85点以上を合格とすることとした。

次に博士学位申請論文の評価基準に従って審査し基準を満たしているか判定した。論文は、実演家による「実践に基づく研究」として、博士(芸術学)の学位にふさわしい優れた成果であると判定した。
研究演奏についても評価基準に従って審査し基準を満たしているか判定した。研究演奏については、研究内容に対する的確な理解力が示されていた。演奏技法及び表現力についての研究も十分になされ、高度に習熟されていると判定した。

論文及び研究演奏の審査後に行われた最終試験(口述)では質疑応答の中で、申請者の研究に対する総合的な理解力、実力があると判定した。

口述試験終了後審査会議を開き、各委員から提出された素点を集計した結果、論文、研究演奏、最終試験(口述)の各成績が合格点を満たしていることから学位審査委員会では、博士の学位を授与するにふさわしい質と量を備え、基準を満たしていることから総合判定を合格とする。

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