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ハワイの沖縄系移民による芸能活動と沖縄

氏名(本籍)
遠藤 美奈(静岡県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博士11
学位授与日
平成27年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
ハワイの沖縄系移民による芸能活動と沖縄
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博士論文全体 論文要旨および論文審査要旨

審査委員
  • 教授 金城 厚[主査]
  • 教授 久万田 晋
  • 教授 小西 潤子
  • 教授 花城 洋子
  • 教授 寺田 吉孝(国立民族博物館)

 

論文要旨

本論文は、20世紀初頭にはじまった沖縄からの出稼ぎ移民が、どのように沖縄の芸能と向き合いアイデンティティを形成しながら、移民先であるホスト社会に根ざした沖縄の芸能を展開させてきたのかについて、沖縄の芸能研究の視座に立ち考察を行った。論文の各章は、本研究の目的を考察するための3つの視点、すなわち第2章から第4章を持って構成している。

まず、一つ目の第二章は、日系、いわゆる本土系出身者と沖縄系出身者とが異なるエスニックであることを理由に研究が分かれて行われてきた点を見直し、とりわけ戦前において双方が共に行っていた芸能、盆踊りの実践を通して、本土系出身者が沖縄系出身者へ向けた眼差しに注目した。マウイ島の日系新聞『馬哇新聞』を読み解いていくと、例えば本土系出身者と沖縄系出身者とが同じ場所で盆踊りを催し盆踊りの場を共有していたこと、本土系出身者が沖縄系出身者の盆踊りを高く評価してきたこと、またその高い評価は新聞紙上にとどまらず、競演会と呼ばれる盆踊りの技量を競い合う場でも優勝という形で表れ、対外的に高く評価されてきたことなどが明らかになった。このように、盆踊りの実践を通してみることによって、沖縄系出身者が行って来た芸能は、生活レベルで生じた双方の軋轢や差別ではなく、日系社会とのつながりのなかで広くその実践を捉え直すことができたと考える。

二つ目の視点として、第三章は、移民を定住者ではなく、流動的な動きをする存在としてとらえ、彼等の往来によって郷土の芸能に与える影響とその実践についての考察を行った。ここでは、沖縄市与儀のエイサーの事例を扱い、かの地であるハワイの琉球盆踊が沖縄市与儀のエイサーへと定着した過程について現地調査を交えて参与観察した。与儀では、ハワイの琉球盆踊をかの地のエイサーとして捉えるのではなく、沖縄で継承されているエイサーと同じ様に受け入れ、自らのムラの芸能として定着、継承してきていた。また、戦前に郷土沖縄へ戻って来た与儀のエイサーに注目したことで、与儀のエイサーを通じて戦前のハワイの琉球盆踊と戦前の沖縄のエイサーについて考察する新しい視点をえることができ、エイサーの重要な要素である念仏の比較を試みることができた。その結果、沖縄県内では歌われなくなった念仏系歌謡《継母念仏》の詞章が、ハワイにはほぼ完全な状態で残されており、沖縄の念仏系歌謡を考えるうえでハワイの念仏歌謡が沖縄の念仏歌の資料となりうることを提示できたと考える。

最後に三つ目の視点として、第四章では、三世、四世、五世といった現在の世代がどのように沖縄の芸能を継承してきているのか、ルーツへの「希求」に注目した。基本的には日系社会のなかで行われているボン・ダンスの演目を沖縄系出身者も親しみ踊っている状況をふまえ、ジャパニーズ・ボン・ダンスと、オキナワン・ボン・ダンスの伝承状況について現地調査を行った。

特にオキナワン・ボン・ダンスに参加する沖縄系の人々の指向には、大きく二つの方向性があると捉えた。一方は、ハワイへ移民した人々が歌い紡いできた沖縄の芸能を通してルーツを求め、他方は、沖縄ならぬ「琉球」にルーツを求めているものと位置づけた。それは、前者が一世たちの生きた近代沖縄を表出しようとする動きであるのに対し、後者が近世琉球を投影する動きと見ることができる。もっとも、両者はルーツへの回帰という共通点を持ちながら、沖縄文化のルーツへの希求に相違があること、それがハワイの芸能実践に多様な姿を創出していると考えられる。このような実践のなかでハワイの沖縄系出身者は、沖縄の芸能とは何かを模索し、その答えを探そうとしている。それは、ハワイにおける沖縄の芸能とは何かではなく、沖縄における沖縄の芸能の実践はどうなっているのかと、沖縄へその答えを投げかけているようにみえる。以上のように、現世代の沖縄系出身者たちにみられる実践は、自らが沖縄の芸能の「亜流」ではなく、源泉を同じくする「傍流」であり、常に沖縄という「本流」の芸能の傍らにいる存在であることの積極的な参加の表明ではないかと考えられる。

第二章から第四章を通し、ハワイにおける沖縄系出身者が行ってきた芸能を沖縄の芸能研究の視座に立って考察するとき、それは移民社会の芸能のみならず、沖縄の芸能の一部分として位置づけることは可能であり、移民先で行われている芸能から沖縄の芸能を再考することにも繋がっている。本論文は、このような視点を持つことで、沖縄の芸能研究の枠組みを広げ、新しい視座を生み出す基礎研究になったと考える。

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