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モザンビークの舞踊劇バイラードの民族音楽学的研究ー「アート」の創出とアイデンティティー

氏名(本籍)
松本 麻耶子[旧姓=古謝](沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博士10
学位授与日
平成26年9月24日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
モザンビークの舞踊劇バイラードの民族音楽的研究 ―「アート」の創出とアイデンティティ―
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博士論文全体 論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 小西 潤子[主査]
  • 教授 金城 厚
  • 教授 花城 洋子
  • 教授 久万田 晋
  • 名誉教授 中村 透(琉球大学名誉教授)

論文要旨

本研究の目的は、独立後のモザンビークにおいて、国民国家形成のための文化政策の一環として国立歌舞団とともに生成された舞踊劇バイラードが、その後地方歌舞団によって創作されるまでの経緯を検証するとともに、「アート」という外来の概念からの影響にも着眼し、バイラード実践者が地方の伝統芸能と舞台芸術の世界をどのように結びつけながら創作活動を行なっているのかについて、民族音楽学的に明らかにすることである。本論は、先行研究と本研究の位置づけを明確にし、研究対象と方法を提示した序章と5つの章からなる。

第1章では、まず国立歌舞団の設立により、国内の多様な伝統芸能の収集と保存がなされ、「モザンビーク性」を追究したバイラード作品が創出されたことについて述べた。「伝統的」共同体を母胎に継承されてきた芸能を素材として取り込むことで、国立歌舞団はエスニック・アイデンティティを超えた新たな国民国家としてのアイデンティティを形成することに寄与した。また、当初のバイラード作品は植民地時代における民衆の苦しみや抵抗等をテーマにしたものが多かったが、社会主義放棄以降は環境保護や平和、エイズHIV/AIDS問題などの内容も取りあげられるようになった。その背景には、海外の支援団体からの助成が増加したことがあると指摘した。

第2章では、ザンベジア州に焦点を当て、地方におけるバイラードの展開を明らかにした。独立後の文化政策や社会変化によって、エスニック集団を単位としたコミュニティで継承されていた芸能の多くが衰退していったように見えたが、それらは地方の歌舞団などで盛んになった「市民としての芸能活動」の中で脈絡を変えて展開する動向もみられたことを述べた。また、近年の地方におけるバイラードの発展を捉えるために、具体的な事例として歌舞団モンテス・ナムリを取り上げた。そして、彼らが創作と実践を通して、海外の舞台芸術団体との交流により強まってきた「西洋を意識したアート志向」と、「源泉」に目を向けた「伝統志向」の間で揺れ動く様子を明らかにした。

第3章では、歌舞団モンテス・ナムリのバイラード作品の構成要素や作風の推移について、比較分析を行なった。その結果、以下の2点が明らかになった。1点目は、海外の芸術団体から支援を受けたコラボレーション作品では、歌舞団モンテス・ナムリの本拠地であるザンベジア州の太鼓だけでなく、イニャンバネ州のティンビラという楽器が使用されるようになったこと、バイラードにポルトガル語の台詞が多く用いられるようになったことなど、これまで地方の人々に対して発信してきた作品とは異なる特徴がみられたことである。2点目は、踊り手がコンテンポラリー・ダンスの要素を取り入れた創作を好むようになり、楽器奏者が伝統的なリズムを用いた奏法のみで対応することができない状況になったこと、そのため録音音源も使用されるようになったことである。このように、海外の支援団体や近年の社会変化からくる趣向の変化などの影響を受けることで、「舞踊や音楽も現代的なものに変える必要がある」という認識が生まれ、バイラード作品の構成要素や作風も変化していったことが明らかになった。

第4章では、バイラード作品と伝統芸能の関係性を明らかにするために、歌舞団モンテス・ナムリで音楽創作を中心的に担っている楽器奏者アンジェロに着目した。そして、彼が伝統芸能や儀礼音楽の世界を行き来しながらバイラード作品を創作していることを示した。アンジェロは、ザンベジア州に広く普及する伝統芸能のみならず、特定の「儀礼」における音楽も素材として利用していること、その際、他の地域の音楽と掛け合わせたり、その音楽専門のものではない太鼓を代用したりするなど、儀礼の脈絡から切り離した音楽の要素のみを抽出して用いていることを明らかにした。

第5章では、次のように結論をまとめた。モザンビークにおいて、バイラードは国民国家のイデオロギーの伝達や「モザンビーク性」を表象する舞台芸術として普及したが、近年ではその担い手による主体的な表現としての展開をみせている。すなわち、自らが継承してきた身体的な技や記憶と向き合いつつも、エスニック・アイデンティティにもナショナル・アイデンティティにもとらわれることなく外部の新しい技能を取り入れていく営み、世界に向かって自らをいかに表象していくかを模索する営みがバイラード創作の場では行なわれているのである。本研究ではこのことを特に音楽創作に着目し明らかにした。継承してきた技と新しい技との間で揺れ動くという、時に葛藤を伴う創作活動は、近年バイラード実践者によって意識されるようになった「アート」という概念とも切り離せない関係にある。

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