沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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琉球における「天」の観念の基礎研究

氏名(本籍)
呉 海寧ご かいねい(中国)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博14
学位授与日
平成28年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
琉球における「天」の観念の基礎研究
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博士論文全体 論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 波照間 永吉[主査]
  • 教授 波平 八郎
  • 教授 高瀬 澄子
  • 教授 豊見山 和行(琉球大学教授)
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • 論文審査要旨

論文要旨

『中山世鑑』、『球陽』等首里王府が編纂した歴史書をはじめ、最古の祭祀歌謡集『おもろさうし』、また口承を基盤とする南島歌謡、そして組踊、琉球の歴史、文学、民俗、芸能等の分野に、「天」にかかわる事例がたびたび登場している。しかし、琉球における「天」の観念の研究は、残念ながらいまだ総体として、研究されていない。特に東アジア漢字文化圏における「天」の観念についての研究の広がりと比べると、琉球の「天」の観念についての研究は殆どみるべきものがない。本論文は、首里王府編纂の歴史文献、文学・歌謡類文献、芸能関係文献資料から、「天」を含む語等を抽出、分析することによって、琉球における「天」の観念を明らかにすることを目的としている。

序章では、先行研究等を纏め、問題点を提示した上で、本研究の動機・目的、意義、及び研究方法等を述べた。

第1章では、中国や日本等の「天」にまつわる観念を概観し、相違点と類似点を比較しながら、それぞれの特徴について論じた。中国の「天子」、日本の「天皇」、国家起源に関わる初代統治者の正統性は、いずれも「天」に求めた点で共通している。

第2章では、首里王府が編纂した歴史文献にみる「天」の観念を考察した。『中山世鑑』、蔡鐸本『中山世譜』、蔡温本『中山世譜』、『球陽』、『琉球国由来記』、を取り上げた。具体例の分析によって、これらの文献に「天人感応思想」「祥瑞思想」「災異思想」「天命思想」「易姓革命思想」等の「天」の観念が存在し、特に歴代国王の誕生や出自等の記述に必ずと言ってもよいほど登場していることを明らかにした。王権の絶対性を主張するため、これらの「天」の観念が活用され、王府の歴史書編纂に多大な影響を及ぼしていることを指摘した。琉球国時代では、士族や知識人等いわゆる統治者階層に「天」の観念が存在・浸透し、意識されていた実態を指摘した。

第3章では、首里王府が編纂した祭祀歌謡集『おもろさうし』にみる「天」を考察した。具体例等の分析を通して、『おもろさうし』にみる「天」は①自然の天空を意味する「天」、②抽象的な天上世界を意味する、万物を主宰する超越的な存在としての「天」、③天下、世の中を意味する「天」、④国王の美称として用いる「天」、と大きく分類することができた。古語で書かれた『おもろさうし』は、王府の漢文文献と対照的であり、古琉球社会における「天」の観念を一瞥できる。

第4章では、『南島歌謡大成』の沖縄篇(上)、宮古篇、八重山篇、奄美篇をとりあげ、奄美・沖縄各地の歌謡にみる「天」を考察した。『おもろさうし』に類似し、南島歌謡にみる「天」も①自然の天空を意味する「天」、②一切を主宰する超越的な存在としての「天」、③国王の美称として用いる「天」、と分けることができる。一方、奄美篇では国王の美称としての「天」がみられない、宮古や八重山では「天」の対語として「上」が用いられること等、南島歌謡の独自性を示すことも論じた。「上」は漢語の「天」が入る以前に「天」に相当する観念である視点をも指摘した。政治思想である「天」と異なって、一般人の信仰世界に繋がる沖縄の土着の「天」の観念の存在を確認した。

第5章では、『日本庶民文化史料集成 第11巻』、『沖縄県史料 前近代8 芸能Ⅰ』、『沖縄県史料 前近代11 芸能Ⅱ』にみる組踊作品を考察した。「忠士身替の巻」、「伏山敵討」、「大川敵討」等の敵討物には、「天の時」、「天運」、「天の咎目」等の表現が頻出し、政治思想に用いる「天命」観念、「易姓革命」観念がよく反映することを述べた。また、「孝女布晒」、「手水の縁」等の世話物、恋愛物には「天の御定」、「天の引合せ」等、運命としての「天命」観念がよく見られることを論じた。忠孝・節義等の儒教倫理観が色濃く描かれる組踊には「天」の観念がよく意識されていることを明らかにした。

終章では、各章の考察の結果を統合整理し、琉球における「天」の観念の形成及び特徴について考えた。支配階層は中国の国家統治に用いる政治思想としての「天」の観念を積極的に受け容れ、特に歴史書の編纂に活用している。一方地方では、祖先神の起源、御嶽および聖域の神名の由来等を「天」に求め、沖縄の土着の「天」の姿をみせている。琉球の「天」の観念は、多種多様で各領域に矛盾なく混在している。この複合的な様相こそ琉球の「天」の観念の実態であり、特徴であろう。

最後に本研究は、文献資料を対象としており、文字化されていない資料についての考察は、情報量がかなり膨大なため、今後の課題にしたい。例えば、沖縄の「天」の全体像を描き出すため、その一環として民間の祭りや昔話等にみる「天」もさらに追究したい。

英文要旨

A Fundamental Study on the Concept of TEN in Ryukyu

The word TEN appears in various written forms and cultural expressions produced in Ryukyu. These forms and expressions include official histories of the Ryukyu Kingdom, compilations of ancient songs and poems, and Kumiodori or narrative Ryukyuan traditional dance. However very few research has been conducted on the concept of TEN in Ryukyu. Thus, this study is intended to clarify the concept of TEN in Ryukyu.

The Introductory Chapter presents a literature review and discusses research questions and methods used in the study.

Chapter One examines the concept of TEN as generally understood in Japan and China. The legitimacy of the Son of Heaven in China, Emperor in Japan, or the first ruler of the original kingdom was claimed through the concept.

Chapter Two focuses on the concept of TEN in the official histories of the Ryukyu Kingdom such as the Chuzan seikan, Chuzan seifu and Kyuyou. The word TEN appears in phrases such as the Mandate of Heaven and the Revolution Decreed by Heaven as well as in descriptions of the births of the kings. The concept was used to legitimize the absoluteness of the kings, while influencing the process of creation of official histories. The concept was thus part of the consciousness of the ruling class in Ryukyu.

Chapter Three examines the concept of TEN in the Omoro soshi, the oldest compilation of ancestral songs and poems by the Ryukyu Kingdom. The word TEN presents diverse and multilayered conceptual interpretations. It refers to the sky, a physical entity; it also refers to the abstract notion of “upper world”; it also refers to the world itself; finally it can be interpreted as a praising word for the king. These conceptual interpretations of the word TEN reflect the world view of the ko ryukyu or “old Ryukyu.”

Chapter Four focuses on the concept of TEN in songs from different regions of Ryukyu compiled in Nanto kayo taisei. The word TEN shows diverse and multilayered conceptual interpretations similar to those in the Omoro soshi. In songs from Amami islands, however, the word TEN is hardly used as a praising word for the kings. In songs from Miyako and Yaeyama, the word UE is often used as a paring word to TEN, indicating that the word UE may be an indigenous equivalent to the word TEN.

Chapter Five examines the concept of TEN in the Kumiodori , narrative Ryukyuan traditional dance, recorded in literature. In its revenge stories, phrases such as “divine retribution” appear while in its love stories the notions such as “orders from heaven” also appear. These phrases and notions correspond to the concept of the Mandate of Heaven and the Revolution decreed by Heaven. Also, as the Kumiodori incorporates Confucian ethnics such as loyalty and filial piety , the concept of TEN reflecting the Confucian ethnics is highly recognizable.

The Final Chapter presents a summary of the study. The ruling class of the Ryukyu kingdom adopted the concept of TEN as a political thought employed in China to rule their kingdom and used the concept to create the official histories of the Ryukyu Kingdom. On the other hand, the ordinary people of rural areas adhered to their indigenous concept of TEN and used it to trace the origin of their ancestral gods and the sacred names of Utaki, sacred places. The concept of TEN in Ryukyu was diverse and multilayered, but not in contradictory with one another. The diversity and complexity in which the concept of TEN manifested itself are the most salient features of the concept used and experienced in Ryukyu.

論文審査要旨

本論文は、琉球における「天」の観念について、首里王府編の歴史書・地誌類の他、古くから民間に口頭で伝承されてきた呪詞・歌謡、さらには首里を中心に演じられてきた組踊などの文学資料を渉猟して、その具体的な有り様を解明しようとするものである。これまでこの分野の研究はその必要性が認められていたものの、具体的に取り組んだ事例はなく、本研究はその嚆矢となるものである。

提出された本論文は、「本論」と「資料」の二部からなる。「本論」は400字詰め原稿用紙にして約1300枚、「資料」もほぼ同量あるいはこれを上回る膨大なものである。

「本論」は、序章、第1章「『天』の観念の概観」、第2章「首里王府編纂の歴史文献にみる『天』」、第3章「『おもろさうし』にみる『天』」、第4章「南島歌謡にみる『天』――『南島歌謡大成』を通して」、第5章「組踊にみる『天』」、終章「琉球における『天』の観念の実態及び特徴」の全7章で構成されている。

「本論」の概略を示すと次の通りである。まず序章で先行研究について紹介し、本研究の目指すところを明らかにする。そして、その課題を解決するための方法について述べている。第1章で、中国および日本の「天」の観念を概観し、琉球における「天」の観念の問題を見る前提としている。そして第2章以下の琉球における「天」の観念の問題の具体相に迫るのである。

第2章では首里王府で編纂された『中山世鑑』、蔡鐸本『中山世譜』、蔡温本『中山世譜』、『球陽』、『琉球国由来記』をとりあげ、これらの文献の記述から「天」にかかわる語・句(これを著者は「天の要素」とする)を抽出し、これらから王府編纂史料に現れた「天」の観念を明らかにする。本章は本論文の主要部文である。とりわけ、第1節で『琉球国由来記』を除く上記文献の中の「開闢神話」を取り上げ、「天孫氏」が初代国王であることを強調するものとして「天」が共通していること、すなわち、初代国王の出自や王権の正当性を「天」に求めていることを明らかにしている。そして第2節では「歴代国王の出自記述にみる『天』」について考察している。その結果は、初代国王「天孫氏」から英祖王、察度王、第一尚氏尚巴志王、第二尚氏尚円王に至るまで、その出自記述には「天」が意識されており、「天人感応思想」「祥瑞思想」「災異思想」「天命思想」「易姓革命思想」など、いずれも「天」の観念にもとづくものとなっていることを明らかにしている。第3節では『球陽』を取り上げ、上記の史書に示された「天」の観念が『球陽』にも存在すること、、神仙観念にもとづく天女譚や雷に関わる天罰の思想などが存在することも明らかにしている。さらに第4節では『琉球国由来記』をもとに、王府の祭儀の中に現れる「天」の観念について、「天壇之御拝」「朝拝之規式」「天地御祭」などをとりあげて、首里城内で行われた「天地御祭」が琉球独自の「祭天儀礼」ではないかとする。また、御嶽等の由来譚にも人間を超える存在としての「天」への信仰心が現れていることを指摘し、これこそが、土着の「天」の観念と位置づけられよう、と結論づけている。

第3章では古琉球の祭祀歌謡集である『おもろさうし』を取り上げ、そこに現れる「天」の観念について考察している。そして、『おもろさうし』では、天空を意味する「天」、聖空間としての「天」・想念上に描き出された他界としての「天」、そして天下・社会を意味する語としての「天」、国王の美称としての「天」という用例があること明らかにしている。

第4章では奄美・沖縄・宮古・八重山にいたる琉球文化圏における歌謡に歌われた「天」について考察している。その結果は、『おもろさうし』における「天」と同じと結論づけられるが、以下のような地域的特徴があることも明らかにしている。すなわち、奄美では国王を表す「天」の用例がないこと、奄美の「天」の観念の背景には日本文化の影響が存在していること、宮古・八重山では「天」の対語が「上」であることなどである。

第5章では、組踊の中の「天」の観念について考察する。その結果、組踊では天地の万物を主宰する超越的な存在としての「天」を取り上げていること、「天」が国王を表すと同時に、地域の支配者である按司をも表す事例のあることを明らかにしている。また、「敵討物」には「天命観念」「易姓革命思想」などが反映していることも明らかにした。

以上のように、本論文は首里王府編纂の史書、祭祀歌謡、劇文学などをとおして、琉球における「天」の観念を明らかにしようと試みた労作である。資料に密着してその中から綿密に用例を洗い出し、分析の対象とした。その結果、王府文書には、王権の神聖性を謳うために「天」の観念が利用されたこと。そしてそれは、「天人感応思想」「祥瑞思想」「災異思想」「天命思想」「易姓革命思想」として表現されていることを明確にしている。また、『琉球国由来記』の御嶽由来譚や『おもろさうし』他の南島歌謡には王府史書と異なる「天」の観念が現れており、ここに琉球土着の「天」の観念を求めることが出来よう、としている。また、組踊には万物を主宰する存在としての「天」や国王・按司を表す「天」があり、一方で王府史書にみる「天命観念」「易姓革命思想」もあることを指摘している。これらの結論は、資料の分析から導き出された穏当な結論と言えるだろう。先行研究の乏しい中、相当量の資料の中から用例を抽出し、これを丁寧に分析・分類し、上記の結論を導き出したことは評価に値する。「資料」篇と併せて、論文表題にある「基礎研究」として十分な成果を挙げたものと評価できる。

なお、このような調査・研究の成果を提示していて評価できる本論文であるが、幾つかの問題点や課題のあることも指摘される。まず、第一に、各章の結論を総合する視点の弱いことである。これら各章の結論を総合すると、琉球における「天」の観念の成長あるいは変遷の像が描き出されるか、これが問題である。この問題を推し進めれば、「天」の観念をめぐる古琉球から琉球近世における思想史的な展開の見取り図を描き出すことができたと思われる。このことはまた、沖縄土着の世界観や日本文化・中国文化から影響を受けて形成された世界観が如何なるものであったかという、大きな問題につながることでもある。各章の結論を編み直し、次の課題につなげる意識を強く持って欲しいと思う。

また、中国における「天」の観念について、受容したという結論を提示しているが、中国における「天」は太陽との関係よりも北極星との関係が重視されるものであること、近世期琉球が受け入れた「天」と同時代の中国や日本における「天」の思想との関係についてはふれていないことなど、議論をより精密にする必要がある。

以上のような問題や課題はありながらも、全体としては、琉球における「天」の問題についてその全体像を明らかにするため正面から取り組み、その端緒を開く研究となっている点を評価したい。琉球思想史研究の土台となる研究であり、今後の研究に貢献することのできる論文と評価し、博士の学位に相応しいものと判断した。

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