沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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バリのゴン・クビャールにおけるガヤの意味 ―ガムラン音楽における演奏表現―

氏名(本籍)
鈴木 良枝(北海道)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博士12
学位授与日
平成27年3月18日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
バリのゴン・クビャールにおけるガヤの意味 〜ガムラン音楽における演奏表現〜
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博士論文全体 論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 金城 厚[主査]
  • 教授 久万田 晋
  • 教授 小西 潤子
  • 教授 徳丸 吉彦(聖徳大学)
  • 教授 梅田 英春(静岡文化芸術大学)

 

  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • 論文審査要旨

論文要旨

本研究はバリのガムラン音楽における「ガヤgaya」の概念について解明する試みである。

ガヤとは様式、方法、態度などを意味するインドネシア語で、一見、その意味と用法から西洋由来の様式と同様に捉えられる。しかし楽譜によって楽曲が固定される西洋音楽と口頭で伝承されるバリのガムラン音楽では「様式」の意味するものは異なり、従来の研究において、「ガヤ」という概念は西洋由来の「様式」の意味と如何に異なるかという議論によって記述されてきた。

しかし、「ガヤ」という概念は、バリの社会がめまぐるしく変化した20世紀に、バリの音楽家が自らの音楽の表現方法を確立する過程の中で形成されており、バリの音楽のどのような文脈で用いられ、歴史的に如何に構築されてきたかという視点が、これまでの研究において欠けていたといえる。本研究では従来の研究の問題点を踏まえ、ゴン・クビャールgong kebyarというガムランを演奏する音楽家のガヤに関する主観的な認識と演奏の変遷、更にガヤの継承の状況からガヤの概念を明らかにした。

本論文は第6章からなり、第1章では、本研究の目的と視点、先行研究について概観した。続く第2章では、インドネシア語であるガヤの語義について概観し、文献資料やバリの音楽家の発言からゴン・クビャールにおける「地域のガヤ」という概念について論じた。

その結果、バリの音楽家は「地域のガヤ」という用語を、歴史的に他の地域との差異を強調するために使用し、ゴン・クビャールの「地域のガヤ」を、楽器の形状や伝承されているレパートリー、演奏表現方法の差異から主張していたことが明らかになった。しかし芸術機関が楽器や音楽の規範を創作し、それらがバリ各地に定着したことによって、現在、地域のガヤは均質化した状況にある。そのような状況において、バリの音楽家は、ゴン・クビャールの古い形を保存している一部の演奏団体の特徴を、「地域のガヤ」の差異として主張していることが明らかになった。

また第3章から第5章では、ゴン・クビャールのガヤの多様性と均質化の実態を実証的に明らかにするために、《オレッグ・タムリリンガンOleg Tamulilingan》という楽曲を題材とし、1970 年代と1980年代の録音資料を比較することによって、ゴン・クビャールの演奏の変遷を論じた。

このうち第3章では、1970年代に録音された七つの村落の団体による演奏と、主に1980年代に録音された五つの教育機関の演奏を採譜し、《オレッグ・タムリリンガン》の旋律構造を比較した。

その結果、1970年代の演奏は、骨格旋律の演奏の順番やその繰り返しの回数などに差異があり、実に多様な《オレッグ・タムリリンガン》の演奏が見られた。一方、1980年代の演奏は、それらの差異はほとんどみられず、楽曲の形はほぼ固定されていたため、骨格旋律の演奏の順番や繰り返しの数は楽曲の同一性に影響を与えていると考えられる。従って、骨格旋律の演奏の順番や繰り返しの回数に規範が形成され、楽曲の形が固定されたことが、ガヤの均質化の要因の一つと結論した。

続く第4章では、1970年代に録音された六つの村落の団体の演奏と、1980年代に録音された五つの教育機関の演奏テンポの加速や減速の変化を、波形編集ソフトによって解析し、実証的に明らかにした。

その結果1970年代の演奏テンポは一様ではなく、演奏団体によって加速や減速の度合いにも差があったが、1980年代に入ると、テンポの遅いなだらかな演奏が好まれ、演奏団体によるテンポの差異は、ごく僅かとなり、均質化に向っていると結論した。

第5章では、ゴン・グラダッグという演奏団体のガヤの実態を検証し、ゴン・グラダッグが自らのガヤを継承するようになった背景を明らかにした。ゴン・グラダッグの1970年代から2000年代までの《オレッグ・タムリリンガン》の演奏を採譜し、比較したところ、旋律が次世代の演奏者に継承されていたことが確認され、集落外からの好評が演奏方法を継承し続ける要因となっていることがインタビューより明らかになった。最後に第6章では結論を次のようにまとめた。

バリにおける地域のガヤという用語の使い方やガヤを示す音楽的要素、またその差異は、西洋由来の様式と同様にその語の意味するものは幅があり、時代によって変化している状況が明らかになった。また従来の民族音楽学においてバリの音楽様式に関する研究は、バリのガムランの統一的な様式を追求する傾向があり、演奏上の微妙な違いから生まれる多様な音楽は単純にヴァリアンテとして語られ、口頭伝承における音楽の特性の一つとして扱われてきた。しかし音楽構造の分析結果から、多様性を生み出し、ガヤの差異を主張する要素は、楽曲の形に影響するような大きな違いから、演奏表現に関係する小さな違いに変化していた。またゴン・グラダッグの演奏家のように、演奏の細部を継承し、自らの演奏団体の特徴を客観的に分析するような姿勢は、メリアムが西洋の芸術作品の様式を語るうえで重要視している、音楽を抽象化し批評するという態度に通じるものがあり、ガヤの概念は、時代が経過するにつれ西洋音楽で使われている様式という概念と重なる部分が、大きくなったと本研究では結論した。

英文要旨

A Study on Concept of gaya in Balinese Gamelan Music: A Case Study of Gong Kebyar Performance.

Gamelan gong kebyar appeared in northern Bali in the 1910s, and thereafter spread throughout that island. Gong kebyar competitions began in the 1930s and as result “gaya daerah (regional style) ” have developed. “ Gaya ” is the term in Indonesian that means the same thing as style in English. But, would be gaya the same as the musicological paradigm of the style?
In this thesis, I consider paradigm of gaya in Balinese gamelan music in gong kebyar throughout music analysis and realization of gaya.
Chapter 1, lays out the objectives of thesis, presents a review of the related literature, and discusses the methods employed in mar research.
Chapter 2 explores term of gaya kabupaten (prefectural style) based upon comment of Balinese musicians and literatures, that Balinese use term “gaya” to distinguish oneself from one’s competitor in other regions.
Chapter 3 analyze colotomic structure, a kind of core melody (pokok), order of playing core melody, number of replication, figurations of melody in Oleg Tumuilingan, a piece of gong kebyar, compare seven recording by music clubs in village with five recordings by groups in institute of art.
Music clubs in village have many variations order of playing core melody, number of replication, and melody of figuration in Oleg Tumuilingan. On the other hand, groups in institute of art have almost no variations those.
Chapter 4 examines tempos in Oleg Tumuilingan, compare six recording by music clubs in village in 1970’s with five recordings by groups in institute of art in 1980’s by methods empirical. Recordings in 1970’s are varied tempo, while recordings in1980’s have almost no variante.
Chapter 5 focuses on Gong Geladag, music club in Geladag village, try to consider musical tradition. Gong Geladag musicians inherit melody of figuration in Oleg Tumuilingan.
Chapter 6 concludes this thesis. Essentially term of “gaya daerah “ is used distinguish oneself from one’s competitor in other regions. But today paradigm gaya come close paradigm “style”.

論文審査要旨

本論文は、バリのガムラン音楽のうち、近代に生まれてバリを代表する音楽となっているゴン・クビャールを対象とし、「様式」と訳されているところの「ガヤ」がどのような概念であるかについて、演奏表現の観点から明らかにした研究である。

研究は、ゴン・クビャールの研究史、および実演者たちの言説のなかでの「様式Style」ないしは「ガヤ」の用法を確認するとともに、バリのなかで「地域のガヤ」と呼ばれている演奏表現方法が地域共通とは言えず、実は特定の演奏団体の特徴に過ぎないことを指摘したうえで、言説において演奏表現の多様性が強調されているにもかかわらず、近代的教育機関の発足を契機に均質化が進行し、個別的な音楽様式が一つの音楽様式に統一される、という傾向が生まれていることを明らかにした。

研究方法では、詳細な採譜とわかりやすく工夫された比較譜によって、音楽形式や装飾旋律の異同を明確に提示し、また、波形編集ソフトを利用した精密な計測によって、アゴーギクの差異を明確に提示した。膨大な作業を丹念に積み重ねた力作であると評価する。ゴン・クビャールの均質化の問題については、これまで暗黙的に理解されてきたことではあるが、今回これを精密な採譜と計測によって実証的に明示したことが最大の成果である。

さらに、演奏団体のなかで演奏表現方法の伝統が形成され、継承されている事例について、カリスマ的な個人の役割に着眼しつつ、聴き取りと採譜によって記述することにも成功している。個人の役割を明らかにしたこと、また、生成されつつ動いていく伝統なるものの実態を記述した手法についてもきわめて興味深い。演奏表現についての実証的研究方法のひとつとしても発展の可能性が大きく、研究史に貢献するだろう。

 審査においては、「様式」に関する先行研究について、参照した内容を具体的に引用して示すべきであったこと、対象曲が舞踊曲であるので、舞踊との関係についても、その有無にかかわらず言及すべきであったこと、「ガヤ」の一要素として音色にも着目する必要があること、村落(演奏団体)相互の影響関係などの脈絡について展望すべきであったことなどが指摘された。また、ゴン・クビャールは新しい特殊な種目で、そこに見られる事象が必ずしもガムラン音楽全体には敷衍できないので、論述上より明確に限定すべきであることが指摘されたので、論文題目の修正を指示した。

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