沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科

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琉球古典音楽安冨祖流の研究

氏名(本籍)
新城 亘しんじょう わたる(沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博2
学位授与日
平成18年3月17日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
琉球古典音楽安冨祖流の研究
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論文要旨および審査結果の要旨
審査委員
  • 教授 金城 厚[主査]
  • 教授 蒲生 美津子
  • 非常勤講師 大湾 清之(歌三線実演家)
  • 教授 大塚 拜子
  • 助教授 久万田 晋
  • 助教授 梅田 英春
  • 論文要旨
  • 英文要旨(English)
  • コメント
  • 論文審査要旨

論文要旨

本論文の目的は、沖縄に伝承されている琉球古典音楽の安冨祖流を対象とし、その演奏様式と音楽的な意味を明らかにすることである。ここで演奏様式というのは、演奏家の個性や、個々の楽曲における旋律の違いを超えて、一定の集団に共通する演奏法のことである。

まず、安冨祖流の伝承の歴史を野村流と対比させながら概観した。琉球国時代の楽人に知念績高、安冨祖正元、野村安趙らがいるが、彼らの活躍によって現在の流派の基盤が作られていることから、この時期を安冨祖流・野村流の「萌芽期」と位置づけることができる。そして近代の金武良仁や伊差川世瑞が活躍した時代は両流の「草創期」にあたり、現代は、新聞社主催のコンクール等によってさらに大きく発展した「普及期」と位置づけられよう。このような歴史の中で、安冨祖流と野村流は独自色を主張しながら互いに発展してきた。

しかし、現在の安冨祖流は大きな混迷期にある。新しく安冨祖流を学ぶ世代の増加にともなって、安冨祖流の伝統的な伝習法である「手様」の伝承が、危うくなっているからである。

そこでまず、安冨祖流の演奏様式を見直し、あらためてこれを確立する必要から、次のことを明らかにした。一つは、富原守清が『琉球音楽考』で述べている「吟法」の概念を解明すること、もう一つは、安冨祖流の「吟法」と不可分に結びついている「手様」の体系化である。安冨祖流の様式や、その音楽的な意味を解明するためには、音の微妙な高低や、間の長短などを、正確に把握する必要がある。そのために、音声分析装置によるアプローチを導入した。先行研究などで指摘されていた「歌い出し」「切先」「抑え吟」「起し吟」などの概念に対して、実演ではどのように演奏されているのかを測定してみた。その結果、両流とも明らかにそれぞれの流派に共通する「吟法」があることが確認された。その差異は、安冨祖流および野村流の演奏様式における重要な一側面とみなすことができる。

安冨祖流の伝習法は、三線の手は工工四譜に基づきながらも、歌は口伝面授で伝習されている。口伝面授の際に「手様」は、工工四譜には表されない間のズレや、抑揚法の強弱を示す手段となっており、これが安冨祖流伝承の特色と言える。そこで宮里春行の映像資料から「手様」を観察し、それらを型に分類して符号で表し、その「手様」の意味や目的について考察を試みた。その結果、右手様は、発声のタイミングや弾絃のタイミングをとり、また音声の緊張を保つなどのはたらきがあり、左手様は声を持ち上げる、下げる等の抑揚のはたらきがあることが明らかになった。

楽譜が伝承の規範であると同様に、安冨祖流にとって「手様」は、楽譜にも代わりうる伝習法の規範である。そこで、手様の動きを示す「手様譜」を新しく作成してみた。これを伝習の場で使用していく意義は大きい。

さて、これまで「吟法」と「手様」について考察した。吟法が「出てきた声」であるなら、手様は「出したい声」を作っていると言え、「吟法」と「手様」とは表裏一体の関係にある。手様の動きが声に変化して伝わるとき、測定したグラフには、音の強さを示す波形の振幅が広がっていくのがわかる。

すなわち、安冨祖流の音楽は、楽譜の升目に従って忠実に間(ま)をとって歌うというのではなく、表現しようとする音の間(ま)や強弱を、身体の動きを借りて表現しているのであり、過去の伝承を保持していくために「手様」という動きを借りて「吟法」を活性化しつつ、次世代へと伝えてきたのである。

英文要旨

A Study of the Afuso Lineage of Ryukyu Classical Music

The purpose of this thesis is the clarification of the performance style and musical meaning in the Afuso lineage (ryuu) of Okinawan classical music, which is transmitted in Okinawa prefecture, Japan.

The thesis starts with an outline of the history and transmission of the Afuso lineage, from its beginnings in the Ryukyu kingdom period up to the present. The lineage is currently going through a period of confusion ― an increase in numbers of a new generation of students studying the Afuso lineage has been accompanied by a weakening of the transmission of ‘tīyō’, a traditional teaching method of the Afuso lineage.

Two factors are identified as being central to the Afuso style. First is the concept of ‘jin’ (vocal technique), outlined by Tomihara Shusei in Ryukyu Ongakukā Second are ‘tīyō’ (hand movements), which are inseparably linked to ‘jin’. In order to understand performance style and meaning, the subtle pitch inflections and expansion or contraction of beat which occur in performance were measured using electronic voice analysis. With reference to previous studies of vocal techniques, various types of jin were measured in performance. This lead to the conclusion that each lineage has its own distinct method of executing jin. This difference in execution is an important element in identifying the performance style of each lineage.

In the transmission practice of the Afuso lineage, the sanshin part is notated in kunkunshi tablature notation, while the vocal line is transmitted orally from teacher to student. Tīyō are used in this oral teaching process as a way to show inflections of beat and pitch not notated in the kunkunshi, and can be seen to be a special characteristic of the Afuso lineage. Using video footage of the performer Miyazato Haruyuki, tīyō were observed, categorised and given names, and the meaning and purpose of each type of tīyō was considered. Tīyō can be seen variously to aid vocal and rhythmic timing, as well as vocal inflection.

Just as notation is used as the standard for transmission, tīyō are used in the Afuso lineage as a standard for musical transmission. I have attempted the production of a notation for tīyō which should be of value for the purposes of teaching.

Jin and tīyō are really opposite sides of the same coin. Jin is the vocal line actually produced, while tīyō can be seen as producing the ‘desired’ vocal line. At the point where tīyō movements become transmitted into vocal production, an increased amplitude of waveform in the measured sound graph of the vocal line is observed.

In conclusion, the music of the Afuso lineage does not follow the beat markings of the notation in a strict manner, but uses body movements in order to denote the rhythm and dynamics that are to be expressed. Tīyō movements are used to realise jin, allowing a certain freedom in the production of the vocal line, and in this manner the music is transmitted to the next generation.

私の研究領域は「民族音楽学」で、琉球古典音楽の研究で学位を取得しました。

私は故郷・石垣島から那覇の高校を出て、横浜市で会社勤めのかたわら三線を楽しんでおりましたが、二〇代のころに三線を携えて海外を旅したことがあり、その経験から、沖縄の音楽は世界に誇れる音楽だと感じ、以来、歌三線を理論的に究めたいと思っていました。四一歳のとき一念発起し、退職して本学に入学しました。その後、学部、修士課程、研究生、博士課程と十六年にわたる勉学生活を送ってきて、博士号取得の夢を果たすことができました。私はこれから本格的な研究の第一歩を踏み出します。

論文審査要旨

この論文は、沖縄の歌三線音楽の演奏技法について、とりわけ安冨祖流の特色とされる演奏様式を明らかにした研究である。安冨祖流は野村流と並立する主要な流派であるが、節付けについては面授口伝を専らとし、規範となる楽譜が存在しないため、その特色ある演奏様式についてはこれまで学術的な解明がなされてこなかった。本研究は、1)安冨祖流と野村流とで、三線の弦音に対する歌の旋律の追従のしかたに相違があること、2)安冨祖流の歌い方では、拍子の移り目に力を加える「切っ先」という動的な声使いが重要とされていること、3)歌の旋律における微妙な間の取り方を正確に伝習するための手段となっている「手様」という手の動かし方に類型性があることなどを明らかにした。

本研究は、これまであまり注目されることの少なかった戦前の研究を数多く発掘し、また、実用的な映像教材についても学術的価値を見出し、先行研究としてよく整理されているが、とりわけ、実演家の体内感覚だけで語り継がれてきた演奏技法の様式や伝習法を具体的かつ明示的に記述したという点が画期的で意義深く、その成果はとりわけ伝統音楽の伝承の現場においても活用されうるもので、その価値はきわめて大きい。

方法論においては、旧来の文献等の渉猟にとどまらず、音響学的測定という方法を導入し、科学的な目で演奏時の諸事象を解明したこと、また、演奏行為の結果である音響学的現象と演奏行為の感覚的側面についての演奏家の言説との関係を明らかにしたことが意義深い。さらに、著者みずからが歌三線の演奏家であることから、先人の記述や証言と自己の演奏経験や体内感覚とを照らし合わせながら分析を進めたことによって、大きな成果が得られている。

この論文の記述には、説明不十分の箇所、演奏法に関する感覚的な表現などが散見され、説得力の点では必ずしも完璧ではない。しかしながら、本研究が扱った演奏技術や伝習技術についての諸問題は、演奏者の体内感覚の問題を含むゆえに、一般的な学術研究のような第三者的観察のみによっては解明不可能であり、本論執筆者のような熟練した演奏家によってこそ初めて解明できた問題である。この点でも、演奏技術研究に新たなパラダイムを切り拓いた画期的な研究だと言えよう。

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