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「近代日本画におけるリアリズムの変遷と今日的可能性 ―「写生」の観点を中心に―」

氏名(本籍)
白砂 真也
しらすな しんや
(沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博26
学位授与日
令和4年9月27日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
近代日本画におけるリアリズムの変遷と今日的可能性 ―「写生」の観点を中心に―
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博士論文全体  論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 砂川 泰彦[主査]
  • 教授 香川 亮
  • 准教授 土屋 誠一
  • 准教授 喜多 祥泰
  • 准教授 関谷 理
  • 名誉教授/客員教授 北澤 憲昭(女子美術大学/武蔵野美術大学/多摩美術大学)

論文要旨

本論は、近代日本画のリアリズムを分析し、そこから現代のリアリズムの在るべき姿を考えることを目的としている。本論が検討したリアリズムとは、画家と自然との関係性、つまり絵画芸術が自然(現実の現象)の模倣を行う際の、目的意識の在り方のことを指す。近代絵画は自律性を重んじて自然を離れ、抽象表現へと突き進んだが、それでも21世紀の我々は、自然を絵に描き続けている。今日においても、自然の模倣は絵の基本であり、それは画家が絵を描く動機と直接関わる、大切な問題だ。

日本画においてこの問題を考える為には、まず近代日本画におけるリアリズムの変遷を俯瞰することが必要となる。近代日本画を通史的に読む研究には、比較的新しいものが既に沢山ある。またリアリズムの観点からは、西洋絵画史を分析したものや、近代文学について述べた研究もある。しかし、近代日本画をリアリズムの観点から通史的に研究したものは見当たらない。そこで本論は、リアリズムというテーマに合わせて複数人の近代日本画家の画業を分析し、更にそれを前提として、今日の日本画家が自然に対してどう向き合うべきかを考察するという、大きく2つの作業を行うものである。

前者の作業については、第一章から第五章にかけて行った。ここでは舶来のリアリズムとしての「写実」と東洋画の伝統としての「写生」を区別し、近代日本画史において「写生」が「写実」の理論に合わせて読み替えられていく過程を分析した。具体的には、日本画の黎明期である19世紀末から、日本画滅亡論が取り沙汰される戦後までを5つの章に分割し、それぞれの章で1人ずつ、合計5人の日本画家(竹内栖鳳、小野竹喬、平福百穂、福田平八郎、東山魁夷)を中心的に取り上げた。

まず第一章と第二章では、写生派の系譜の近代日本画家が「写実」を内面化していく様子について述べている。第一章では、京都写生派の竹内栖鳳が、洋画の「写実」へと合流し、風景画を描く様になるまでの過程を述べた。第二章では、栖鳳の弟子である小野竹喬を中心として、風景画の視覚形式を内面化した彼が自然の中に風景を発見し、それを近代的な個性の表現として描き始める様子について述べた。

次に第三章と第四章では、上に述べた個性の表現としてのリアリズムが、日本画の伝統との間に生じさせた葛藤について述べている。第三章では、平福百穂の「写生」主義によって、「写生」が日本画の伝統的スタイルとして理論武装されるまでを述べた。ただしここでいう「写生」とは、既に「写実」を通して近代的に再解釈されたものである。更に第四章では、そうした近代的「写生」の両義性によって、福田平八郎の画業が個性と伝統との間で板挟みになる様子について述べた。

最後に第五章では、そうして戦前までに形成された「写生」の理論が、戦後に失われていく理由について考察した。ここで戦後日本画家としてとりあげた東山魁夷の洋風化した風景画は、近代日本画のリアリズムの本質が、洋画の「写実」であったことを物語るものである。

後者の作業については、結論にて行った。ここでは第五章までに分析した近代日本画におけるリアリズムの変遷を総括しつつ、それを田中一村との比較によって相対化し、一村の現代性について述べている。

まず、第五章までに述べた近代日本画のリアリズムは、洋画のリアリズムを通して再解釈された「写実」の亜種としての「写生」であり、それは感覚的、感性的な性格によって、画家の個性の表現として機能していた。しかし21世紀においては、様々な視覚メディアの発達によって、画家の肉眼から特権的な地位が失われつつある。そんな現代に、感覚主義的な近代の「写生」はそぐわない。

対して一村のリアリズムは、そうした個性の表現としての「写生」から脱して、描かれる自然の側の「生を写す」為のものとなった。そこで本論は、21世紀においてもリアリズムを目的として持ち続けたいならば、田中一村のリアリズムが有効であると結論付ける。

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