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「明代龍泉窯青瓷の研究 ―琉球出土資料を中心に―」

氏名(本籍)
柴田 圭子
しばた けいこ
(愛媛県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博25
学位授与日
令和4年9月27日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
明代龍泉窯青瓷の研究 ―琉球出土資料を中心に―
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博士論文要約  論文要旨および論文審査要旨
審査委員
  • 教授 森 達也[主査]
  • 教授 波平 八郎
  • 教授 小林 純子
  • 学芸員 徳留 大輔(出光美術館 主任学芸員)

論文要旨

明代龍泉窯青瓷の研究は、琉球史を復元する上で有効であり、陶瓷史においても「天龍寺青磁」の実態解明という課題がある。本論では、琉球の遺跡出土資料を取り上げ、14〜15世紀の龍泉窯青瓷の編年を行い、美術史と考古学に資することを目指した。また、編年研究を元に、琉球における龍泉窯青瓷大形品所有の特徴や琉球から他地域への影響について論じた。

第1章「研究史と課題」では、日本考古学と美術史における14〜16世紀の中国陶瓷の編年研究の概要をまとめ、課題となる点を論じた。龍泉窯青瓷碗・皿の編年では、琉球における明代初期の基準資料の欠落や、元代中・後期から明代中期にかけての編年が特に課題であり、Ⅳ類・Ⅴ類として分類される典型的な例だけではなく、両者の中間的な特徴を有する製品の評価の必要性を述べた。大形品では、元代か明代かさえ区別できないものがあり、編年を行う重要性を強調した。

第2章「龍泉窯青瓷碗・皿・盤の編年」では、遺跡出土の碗・皿・盤を対象に、元代中期から明代中期の編年を行った。元代中期の新安沈船と明代中期の首里城跡京の内跡倉庫跡SK01を基準とし、年代の明らかな資料のみならず製品の特徴からその間に位置付けられる資料も検討した。これまでの研究により設定されたⅢ・Ⅳ・Ⅴ類という分類に従って、高台や施釉に注目しつつ、基準資料の器形や文様の変化を観察し、時期変遷を追った。また、生産地である龍泉窯での編年も参照し検証を行った。

第3章「龍泉窯青瓷蓋罐の研究−出土資料を中心に−」では、「酒海壺」と呼称される蓋罐の編年を行った。Ⅰ類蓮弁文、Ⅱ類無文、Ⅲ類文様帯、Ⅳ類その他という文様による大分類を設定し、基準資料の分析を行い、各分類の出現時期や、形態の変遷を示した。その結果、13世紀中葉のⅡ類が大形の青瓷蓋罐の初源であり、14世紀前半にはⅠ〜Ⅲ類の器形の統一がみられ、蓋罐の量産化が想定できた。明代中期にはⅢ類が盛行し、口径の大型化や口縁の簡略化、文様の多様化が確認できた。さらに、首里城跡や今帰仁城跡で出土する一部の製品が明代初期に遡る可能性を示した。課題として、編年の検証および遺跡内や地域における評価、日本のみならず広く世界に視野を広げて類例を求めることなどを挙げた。

第4章「もう一つの蓋罐−龍泉窯青瓷鳥文蓋罐をめぐって−」では、宇江城城跡から出土した鳥文蓋罐の評価を行った。本例は盤口の蓋罐で、故宮博物院蔵品など少数しか類例のない希少な製品であり、鳥文や副文の特徴から明代中期に位置付けられると結論した。さらに文様の特徴は、同時期の景徳鎮窯とも共通することを述べ、その背景は課題とした。

第5章「首里城跡出土龍泉窯青瓷大瓶の編年研究」では、龍泉窯青瓷大瓶の編年を行い、首里城跡から出土した8点の大瓶を位置付けた。大瓶は南宋以降確認でき、元代には貼花文と刻花文があり、両者では標準的な器形や文様構成が異なる。明代には刻花文が盛行し、脚部に突帯が付く。それに加えて、頸部圏線、牡丹文の特徴、接合方法を検討し、首里城跡出土の大瓶は全て明代の製品で、明代初期の可能性のあるものを含み、明代中期前半までに位置付けられることを示した。

第6章「明代龍泉窯青瓷の特徴」では、第2〜5章で論じた編年を総合し、明代初期には一般的な碗・皿などでは簡素化や粗雑化という特徴があり、明代中期前半には、小形品から大形品まで加飾化や多様化がみられ、明代初期とは相反する特徴があることを述べた。15世紀前葉の資料を多く含む首里城跡二階殿地区落ち込み資料には、編年に反映できていない特殊な碗や鉢があり、これらには洪武、永楽官器と共通する特徴がみられ、長胴罐には明代初期から中期への過渡的な様相が認められることを論じた。さらに明代中期にみられる立体的な刻花文の製品は、明代龍泉窯青瓷の最上級品であると評価でき、一部の印花文の製品にも同様の評価ができることを指摘した。

第7章「明代龍泉窯青瓷からみた琉球の内外」では、琉球における陶瓷出土の画期、琉球内での大形品所有の特徴、琉球から他地域への影響について論じた。画期は14世紀後半から15世紀前葉の明代初期にあり、大形品である蓋罐はそれ以降の時期に多数出土し、集落から王城まで重層的な所有となることを述べた。また、当該期は博多での陶瓷出土減少期に当たり、琉球からの影響によって九州東岸ルートの顕在化など日本の貿易陶瓷の流通ルートが多様化したことを指摘した。

本論の重要な成果として、元代から明代龍泉窯青瓷の編年を示し、明代初期と中期の相反する傾向性、明代中期に加飾が著しい最高級の製品を生産していることを示した点が挙げられる。琉球での受容の過程や、他地域への影響についても、編年を基礎として論じることができた。未だ取り上げていない器種の編年や、青花瓷との関係は今後の課題とする。

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