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日本近代美術における「古代」の表象 ―神武天皇・聖徳太子・光明皇后のイメージを中心に

氏名(本籍)
長嶺 勝磨
ながみね かつま
(沖縄県)
学位の種類
博士(芸術学)
学位記番号
博28
学位授与日
令和5年9月26日
学位授与の条件
学位規定第4条の2
学位論文題目
日本近代美術における「古代」の表象 ―神武天皇・聖徳太子・光明皇后のイメージを中心に
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博士論文全体
審査委員
  • 教授 小林純子
  • 教授 金 惠信
  • 教授 波平 八郎
  • 塩谷 純(東京文化財研究所 上席研究員)

論文要旨

本研究は、日本が近代国家としての体制を確立するため、自国の「古代」を創出したことを、美術史の視点から検証したものである。特に重要な古代の歴史的人物として、神武天皇・聖徳太子・光明皇后に注目し、テキストとビジュアルイメージの検証を通じて、近代における図像の形成と展開を分析した。

第1章「近代における「古代」のイメージ」では、古代の表象形成の背景に注目し、第1節にて、東京帝室博物館の活動及び岡倉天心の言説を分析して、1900年(明治33)以降、博物館は展覧会や図録の出版を通じて、画家たちに具体的な古代のイメージを発信する場となったこと、東京美術学校の日本美術史講義において、天心が天平時代に最盛期を迎えたとする美術史観を発信していたことなどを論じた。第2節では、日本考古学者の古代に関する言説、第3節では文学における古代に関する言説に整理し、東京帝室博物館に勤務していた高橋健自や後藤守一が唱えた考古学史が一般に広まったこと、『万葉集』の受容を通じて、日中戦争開戦後から出征兵士を防人に重ねる状況が形成されたことなどを指摘した。第4節では、美術作品に描かれた古代の埴輪・天平時代・防人の図像を分析した。そして埴輪が日本人の古典として評価されていくなかで、伸び行く日本や大東亜建設の象徴として埴輪の造形表現を参照した作品が描かれていたこと、1900年(明治33)以降、天平時代の女性像が正倉院御物とともに多く描かれるようになったこと、時局を踏まえて、古代の武人像である防人を主題とした作品が増加したことを明らかにした。

第2章「近代における神武天皇の表象」では、神武天皇の表象について分析した。第1節では、歴史学における神武天皇の研究史を整理し、神武天皇の東征や詔勅に関する出版物が1934年(昭和9)から増加したこと、詔勅にみる「八紘一宇」の精神が高く評価されるようになったことを指摘し、第2節では、近代の神武天皇観に大きな影響を与えた日蓮主義者である田中智学の言説を検証し、日清・日露戦争後に智学が唱えた「八紘一宇」の思想と神武天皇が結びつき、昭和時代において世界を道徳的に統一する日本の理想像となったことを論じた。第3節では、近代に描かれた神武天皇像の特徴を考察し、第4節では、田中智学と交流のあった竹内久一の《神武天皇立像》の造形表現を分析した。そして、神武天皇の髪型がみずらに変化し、考古遺物が描き込まれるようになったこと、竹内久一の作品が神武天皇像のカノンとなったこと、台座の「日本地図」の表現を智学が「両半球」と誤解したことを論じた。

第3章「近代における聖徳太子の表象」では、先行研究を整理しながら、近代の聖徳太子像の特徴と展開を分析した。第1節では、近代の聖徳太子伝に注目し、第2節では、聖徳太子顕彰団体である上宮教会・聖徳太子一千三百年御忌奉賛会・聖徳太子奉讃会の活動を分析した。そして1923年(大正12)に出版された黒板勝美の『聖徳太子御伝』によって、聖徳太子が「国体の権化」として位置づけられたこと、1921年(大正10)4月の聖徳太子一千三百年御忌法要を契機として、太子の規範化が進んだことを指摘した。第3節では、美術作品にみる聖徳太子像を分析し、一般的な太子像として《聖徳太子二王子像》が受容されたこと、主題としては摂政太子像・勝鬘経講讃図・入定図・黒駒図が描かれるようになったこと、堂本印象の聖徳太子三部作や町田曲江の《東天鴻基》の図像表現の特徴などを明らかにし、第4節では、四天王寺の四箇院建立や薬猟、片岡山飢人説話を根拠に、太子の慈悲のイメージが描かれるようになったことを論じた。

第4章「近代における光明皇后の表象」では、光明皇后の表象について考察した。第1節では、天皇制慈恵主義の観点から、皇室と社会事業の関係や1887年(明治20)4月26日に下賜した令旨、救療史料展覧会に陳列された史料などを分析し、国民を慈しむ慈愛の象徴として光明皇后が位置づけられていく過程を明らかにし、第2節では、美術作品に描かれた光明皇后像を取り上げ、主題として祈祷図や施浴図が描かれるようになったことを指摘した。第3節では、中澤弘光による1909年(明治42)の《おもひで》や 1919年(大正8)の《光明》の図像を分析し、中澤が光明皇后の伝説を参照して、十一面観音像の姿をした光明皇后を描いた可能性が高いことを論じた。

本論の重要な成果として、近代において、神武天皇像・聖徳太子像・光明皇后像などの「古代」表象が国家意識の形成と深く結びついており、美術作品の分析を通じて、その内実を具体的に示した点が挙げられる。私の研究は、近代の作家が自国の古代をどのように捉えていたのかを分析するうえで、有効な視点を提供するものとなるだろう。

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