博士論文要旨
本論文は、琉球人が享受した大和芸能について、主に家譜資料における芸能関係資料を手がかりに、その様相を明らかにすることを目的とする。
これまで、琉球芸能、とくに組踊に関する研究では、大和芸能との関係性が多く指摘されてきたにも関わらず、実際に琉球人たちがそれらの大和芸能を知る機会がどれだけあったのかについてはあまり研究されてこなかった。そこで本論文では、近世琉球の士族たちの公的活動記録である家譜資料を用い、琉球人が享受した大和芸能について調査・研究を行った。
まず第一章では、本論文の研究目的を述べたのち、2つの視点から研究史を概観した。すなわち、①組踊と大和芸能の比較研究史、②近世琉球における大和芸能享受の研究史である。①では、これまでの研究にてさまざまな視点から組踊と大和芸能の関係が指摘されており、組踊と大和芸能に影響関係があることが明らかになりつつあること、一方で、それらの大和芸能を琉球人がどこで知り得ることができたのかにまで踏み込んで論じた研究はほとんど行われていないことを指摘した。②では、これまでの研究では主に家譜における江戸立の記録から、琉球人が江戸や薩摩にてさまざまな芸能に触れる機会があったことが明らかにされてきたこと、一方で、研究対象とされた家譜が一部のものに限られてしまっており、網羅的に調査されていない点や、享受した芸能を編年的に整理されていない点が課題であることを指摘した。その後、先行研究の成果と課題を踏まえた上で、本論文における研究方法を示した。
第二章では、琉球人と大和芸能の関わりを示す家譜資料の記事を調査、分析し、琉球人が享受した大和芸能の実態を探った。第一節では江戸立、第二節では薩摩上国、第三節では琉球国内と、場所ごとに分けて調査を行った。まず、家譜資料を調査し、琉球人が大和芸能を享受した記事を、時、場所、内容等の項目に分けて整理し、年表にまとめた。そして、年表を分析し、享受した芸能にはどのような変遷や特徴があるのかを分析した。その結果、琉球人が各地で享受していた芸能には一定の傾向があることが分かった。また、享受芸能は時代によって変化しており、その変化が起こる理由として、①芸能の流行の変化、②薩摩藩主の趣味や身内の祝い事など島津家の個人的な事情、③薩摩藩の財政状況の影響、の3点が考えられることを指摘した。
第三章では、芸能が鑑賞された「場」に着目し、「場」と芸能の関係性を考察した。ここでの「場」とは、芸能を上演する舞台や鑑賞する客席といった物理的空間=「場所」、そして、空間の使われ方や鑑賞会の次第などの環境や状況=「場面」を包括する語として用いる。第一節では江戸立、第二節では薩摩上国に分けて論述し、第二章で蒐集した家譜の記事を用い、各芸能が鑑賞された場所の詳細(建物や部屋など)を明らかにした。その後、薩摩側の資料も用いて、芸能鑑賞に使われた場所が他の場面ではどのような使われ方をしているのかを調査した。その結果、江戸立、薩摩上国の事例では、「場」によって薩摩側が見せる芸能を選別していることが分かった。
第四章では、具体的に琉球人が享受した可能性のある芸能を考察した。第二・三章の結果から、琉球人が享受していた大和芸能は、すなわち薩摩が享受していた大和芸能であるということが分かった。そこで、『鹿児島県史料旧記雑録追録』を中心とした薩摩側の資料を用い、琉球人が享受していた大和芸能を考察した。その結果、能や狂言については能楽百番に入るような基本的な演目であれば琉球人は容易に見聞きすることができた環境であったこと、歌舞伎や浄瑠璃についてもある程度享受の機会があったと考えられること、世話物より時代物が好まれた可能性があることなどを指摘した。また、実際に芸能そのものを見ることができなくても、謡本や版本から芸能文学を享受できたことを指摘した。
最後に、第五章にて、本論文の成果と課題を述べた。本研究の成果としては、①家譜における芸能関係資料を網羅的に蒐集し、それを編年的に整理・分析したこと、②編年的に整理・分析したことで、琉球人が享受した大和芸能は時代によって変化しており、その変化には薩摩藩が関係していることを明らかにしたこと、③さらに琉球人が江戸立や薩摩上国といった機会に見ることができた芸能は薩摩藩がその「場」にふさわしい芸能を選別していたことを明らかにしたこと、④具体的に琉球人が享受していた大和芸能を薩摩側の資料を用いて考察したこと、の4点があげられる。一方課題としては、家譜以外の芸能記事の調査が及ばなかったこと、薩摩側の資料が限定的であることが挙げられる。
博士論文英文要旨
A Study on the Ryukyuans’ Reception of Yamato Performing Arts: Focusing on Articles Related to the Performing Arts in Genealogical Records
This paper aims to elucidate the aspect of Yamato performing arts enjoyed by Ryukyu people, primarily using materials related to performing arts found in genealogical records (Kafu).
While previous research on Ryukyuan performing arts, especially Kumiodori (Ryukyuan opera), has often pointed out its relationship with Yamato performing arts, there has been limited study on the actual opportunities Ryukyu people had to encounter these arts. Therefore, this paper investigates and researches the Yamato performing arts enjoyed by Ryukyu people using Kafu materials, which are the official activity records of Ryukyuan scholar-officials in the early modern period.
Chapter 1 outlines the research objective and reviews the research history from two perspectives: (1) comparative studies of Kumiodori and Yamato performing arts, and (2) studies on the enjoyment of Yamato performing arts in early modern Ryukyu. It is noted that although the influence relationship between Kumiodori and Yamato performing arts is becoming clear, few studies have explored where Ryukyu people could have learned about these arts. It also points out that while previous research has revealed that Ryukyu people had opportunities to encounter various performing arts in Edo and Satsuma through records of Edo-tachi (trips to Edo) in Kafu, the limited scope of Kafu materials surveyed and the lack of chronological organization of the enjoyed arts remain challenges.
Chapter 2 investigates and analyzes the articles in Kafu materials that show the involvement of Ryukyu people with Yamato performing arts, exploring the reality of the arts they enjoyed. The investigation is divided by location: Edo-tachi (Section 1), Satsuma-jōkoku (trips to Satsuma) (Section 2), and within the Ryukyu Kingdom (Section 3). The articles are organized into a chronology by time, place, and content. The analysis reveals certain trends in the enjoyed arts across different locations and changes over time. Three possible reasons for these changes are suggested: (1) changes in the popularity of the arts, (2) personal circumstances of the Shimazu family, such as the tastes of the Satsuma feudal lord or family celebrations, and (3) the influence of Satsuma Domain’s financial situation.
Chapter 3 focuses on the “venue” where the arts were appreciated, considering both the physical space (basho) and the surrounding environment and situation (bamen). By analyzing Kafu articles collected in Chapter 2, the specifics of the venues (buildings, rooms, etc.) for each art form during Edo-tachi (Section 1) and Satsuma-jōkoku (Section 2) are clarified. The study also uses Satsuma-side materials to investigate how these venues were used on other occasions. The results indicate that Satsuma selectively chose the arts shown to Ryukyu based on the “venue” in both Edo-tachi and Satsuma-jōkoku cases.
Chapter 4 specifically examines the performing arts that Ryukyu people were likely to have enjoyed. The findings from Chapters 2 and 3 suggest that the Yamato performing arts enjoyed by Ryukyu people were essentially those enjoyed by Satsuma. Therefore, using Satsuma-side materials, such as the Kagoshima Kenshiryoˉ Kyuˉki Zatsuroku Tsuidoku, the arts enjoyed by Ryukyu people are considered. The chapter suggests that Ryukyu people could easily see and hear basic Noh and Kyōgen plays included in the Nohgaku Hyakuban (One Hundred Noh Plays), and also had some opportunities to enjoy Kabuki and Jōruri. It is also pointed out that Jidaimono (historical plays) might have been preferred over Sewamono (domestic plays), and that they could enjoy performing arts literature through Utaibon (Noh chant books) and printed books, even if they could not see the performance itself.
Finally, Chapter 5 states the achievements and challenges of this paper. The four achievements are: (1) comprehensive collection, chronological organization, and analysis of performing arts-related materials in Kafu; (2) clarifying that the enjoyed arts changed over time and that the Satsuma Domain was involved in these changes; (3) demonstrating that the arts viewed by Ryukyu people during opportunities like Edo-tachi and Satsuma-jōkoku were selectively chosen by the Satsuma Domain to suit the “venue”; and (4) concretely examining the enjoyed arts using Satsuma-side materials. The challenges include the limited scope of investigation beyond Kafu articles and the limited nature of the Satsuma-side materials used.
論文審査の結果の要旨
本論文は、近世期の琉球人が享受した大和芸能について、主に家譜資料を中心にその実態を探ることを目的とする。現代に伝承されている組踊や琉球古典芸能のいくつかは「大和芸能からの影響を受けて成立した」と説明される。しかし、その「大和芸能」の実態や「影響を受けた」ことについて先行研究はあるものの、一部の事例のみにとどまっている。本研究はそのような中で、現存する首里・那覇の家譜を網羅的に検討し、それらを時代だけでなく「江戸」「薩摩」「琉球国内」などの上演された場、上演された芸能のジャンルを整理して検討することによって、琉球人が享受した芸能について一定の傾向があることを明らかにし、なおかつ琉球人が享受した作品について一部、言及したものである。
論文の全体は「第一章 序論」「第二章 琉球人が大和芸能を享受した記録」「第三章 琉球人が大和芸能を享受した『場』」「第四章 琉球人が享受した大和芸能の考察」「第五章 結論」からなる。付録として約100頁の「家譜における芸能関係記事一覧(75頁)」と「『旧記雑録追録』における芸能関係記事一覧(34頁)」が付く。
第一章は本論文の研究目的を示し、本研究の意義を説くものである。従来の琉球おける大和芸能の享受の事例をとりあげながらも、先行研究の研究成果は資料の一部にしか言及がなされていないことを指摘し、網羅的な資料蒐集と活用について、方向性を示している。
第二章は実際に家譜資料を調査・分析し、琉球人が享受した大和芸能の個別事例を検討した。第一節では江戸立関連の芸能、第二節では薩摩上国関連の芸能、第三節では琉球国内での大和芸能とし、それぞれ内容を項目別に分けて示した。網羅的に分けた資料(年表形式)は貴重な調査データといえ、そのデータから江戸・薩摩・琉球国内で琉球人が享受していた芸能には一定の傾向があることを明らかにし、それに加えて時代の変遷による享受される芸能の変化を導き出した。そしてその変化が起こる理由として①芸能の流行の変化、②薩摩藩主や島津家によるもの、③薩摩藩の財政状況の3点を指摘した。網羅的に検討することで、本研究が大和芸能享受における基礎資料として、評価できる。
第三章は大和芸能が享受された「場」について検討したものである。先行研究では享受された芸能の「作品」に注目したものが多かったが、大和芸能が享受された場所の詳細を明らかにすることで、儀礼内容や芸能の内容の詳細から同席者や上演される場所の違いによって薩摩側が芸能を選別していたことを明らかにした。本章では琉球側の資料だけでなく薩摩側の資料を多く用いて検討し、芸能を行う空間が儀礼や作品に影響することを示しており、琉球人が享受した大和芸能には薩摩の意向が大きく影響していたことを明らかにした点において、今後の琉球芸能研究の発展が期待される。
第四章は、第二章、第三章の結果を踏まえ、薩摩側の資料である『旧記雑録追録』を用いて、琉球人が享受していた芸能を考察したものである。薩摩側の資料を用いることで、これまで指摘されなかった能楽百番の演目や、歌舞伎や浄瑠璃について琉球人が享受していた芸能を明らかにした。これによって琉球人が享受していた大和芸能は、すなわち薩摩が享受していた芸能である、と決定づけた。先行研究が取り上げてこなかった資料から具体的事例を挙げて論述したことで、漠然としていた大和芸能の享受についてその作品や芸能ジャンルを明確に示したことは、新しい琉球芸能史研究の方向を示したこととして、評価できる。
第五章は本論文の成果と課題を述べている。上述したように現在見る事のできる家譜資料を網羅的に蒐集し、分析を行ったこと、編年的に整理して細かな分析を行ったこと、琉球人の享受した大和芸能には多分に薩摩藩が影響していること、琉球人の享受した大和芸能について薩摩側の資料を用いて考察したことなどを成果として挙げ、課題としては家譜という資料の特性から、芸能記事に偏在性があること、薩摩側の資料に芸能関係記事が限定的で、家譜資料に即した事例を多く蒐集できなかったことを挙げている。
このように本論文は、現在の琉球芸能研究における「大和芸能の影響」について史料学的な視点から開拓すると同時に、琉球芸能史だけでなく薩摩-琉球における文化受容という分野にも貢献する研究といえる。また、薩摩側の提供する芸能の変遷においては、藩主の影響が確実にみえることから、薩摩藩における財政研究にも少なからず貢献できると高く評価できる。その意味で本研究は、今後の琉球芸能史研究の基礎研究の一つとして位置づけられる。
なお、このような調査・研究の成果を提示していて評価できる本論文であるが、いくつかの問題点や課題のあることも指摘される。まず挙げられるのは本研究を貫く基本概念である「享受」という語についてである。一部、本論文中の用語使用に揺らぎが見えるように、より厳密な概念規定に基づく用語規定が求められる。
また、論述中には「ほとんどあきらか」「あまりみられない」「ある程度」など、調査・研究から得られた正確な結果に対して不明確な提示がみられた。調査や研究からはこのような部分も正確に記述、結果を導き出せていると思われる。論文全体の持つ内容や調査について目配りを効かせ、結果をより正確な記述にしてほしかった。
そして本論で示している漢文資料については原文のみの提示だったため、資料提示には訓点を施すなど、論文における基本的な表記が求められる。
さらに審査委員からは、家譜資料の偏在性についての理解や、一部の歴史資料の誤読についての指摘があった。一方では膨大なデータを個人の記録として考察することで、近世琉球社会における身分差などの状況を明らかにする資料となり得る可能性、本資料と冊封関係芸能との結びつきなどについて発展的な意見があった。
以上のような問題や課題はありながらも、審査委員会は以上の評価を総合して、全体としては琉球芸能史に新たな成果を提示したという成果によって、斯界に貢献することのできる論文と評価するものである。
最終試験結果
最終試験(口述)(日時:2026年1月12日 13:30~15:30 場所:一般教育棟3階302教室)
最終試験は、まず申請者が論文の概要を口頭で説明し(約15分)、続いて審査委員が一人ずつ提出論文について感想や意見を述べながら質疑を行い、申請者が審査委員一人ずつの質問に対して回答を行った。質疑応答の結果、論文内容について充分に理解していると判定した。質疑では、「享受」という用語使用の理由、博士論文冒頭における「組踊」とその結果の整合性、家譜資料における偏在性への理解、『中山世譜』や「大和江御使者記」などの資料との比較検討、薩摩における民俗芸能からの影響についてなどの質問が提示され、大部分の質問について的確な回答があった。また、一部の資料の誤読、漢文資料について訓点を施す必要性、付属資料を本文と別冊とすること、座敷と舞台という空間規定への言及についての補足説明の必要性、などの指摘があった。
総合判定
審査委員会は、審査を実施するにあたり「沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科(後期博士課程)博士論文等審査基準」に基づいて、申請者・石橋佐紀子氏より提出された論文が要件を満たしているかについて審査を行った。
論文審査の前に、論文審査、最終試験(口述)の成績素点はそれぞれ100点満点の85点以上を合格とすることを確認した。
次に博士論文等審査基準に従って審査を行い、評価基準を満たしているかについて判定した。その結果、各審査委員の採点が全て85点を超えていたため、提出された論文が博士(芸術学)の学位に相応しい論文であると判定した。
最終試験(口述)では、質疑応答を通じて、申請者が当該研究に関する総合的な知見、理解、及び相応の研究能力を有していることを確認した。
最終試験(口述)終了後、直ちに審査会議を開き、5人の委員から提出された素点を集計し、平均した結果、最終試験(口述)の成績が合格点である85点を超えていた。論文及び最終試験(口述)のどちらの成績も合格点である85点を超えていたため、審査委員会は申請者が提出した論文が博士論文等審査基準の評価基準を満たしており、博士の学位を授与するに相応しい内容であることから、総合判定を「合格」とした。