博士論文要旨
本論は、沈没船遺跡に積載された陶磁器の研究によって琉球列島の海洋人類史及び島嶼文化を明らかにしようとするものである。沈没船遺跡は人類活動の一瞬の時間を閉じ込めたタイムカプセルであることから、船に積載された積荷である陶磁器の研究を行うことによって、陸上の生産地と消費地遺跡からは論ずることができない陶磁史と、そこから明らかとなる沖縄の海洋人類史について考察した。
第1章「はじめに」及び第2章「研究史・研究目的・研究方法」は、水中考古学がどのような領域の研究を可能とするのか、そして陶磁史の研究においては同時性を決定的に証明する優れた研究方法であることを示し、日本国内ではじめて悉皆的に実践された琉球列島の水中考古学の調査方法について論じた。
第3章「琉球列島における水中文化遺産の分布調査とその成果」では、沈没船遺跡の価値を明らかとするため、これまでに琉球列島で確認できた水中文化遺産の位置とその性格を把握し、体系的な分類案とその数、傾向について分析した。集成された水中文化遺産281遺跡の内、陶磁器が確認された遺跡は274遺跡と全体の97.5%にもなり、陶磁器研究に水中文化遺産は欠かすことができないことを明らかとした。本論の中心となる沈没船遺跡は、沖縄海域の21遺跡に対し、鹿児島海域では2遺跡だったことから、琉球列島における人類活動は沖縄海域に重心があったことが明らかとなった。さらに沈没船遺跡が確認された位置について分析した結果、琉球列島で交易を目的とした航海に利用された海域は東シナ海に重点が置かれていた可能性が示唆された。
第4章「古琉球の沈没船遺跡と積載された中国陶磁」では、琉球列島で確認された23ヶ所の沈没船遺跡の内、古琉球時代に焦点をあて分析した。沈没船遺跡は7ヶ所で確認され、すべての船は圧倒的な量の中国陶磁器を積載していることがわかった。時期は12世紀後半から16世紀初頭に及ぶ。古琉球時代は中国陶磁器を積載した貿易船が琉球列島海域の航行を代表する時代であったと結論できる。その中でも14世紀後半~15世紀の沈没船遺跡が多い傾向があり、琉球がアジアの海を舞台に貿易で繁栄した時期と同じくすることも明らかとなった。これらの沈没船遺跡で確認された中国陶磁器群はその時代を代表する組成標本となり、中国陶磁史の研究を大幅に進める貴重な一括資料群を得ることができた。
第5章「琉球船の構造を解き明かす鍵となるイカリ」は、船の構造を知る手がかりとなるイカリの研究成果である。古琉球から琉球王国時代の木造船は、これまでその構造がほとんどわかっていなかった。しかし、琉球列島で確認された碇石の形態的特徴を分析した結果、琉球船の碇石は中国木造船が使用していた碇石を模倣したことが明らかとなった。そこから、船体そのものの構造も中国船を模倣していた可能性があることが示唆された。このことは琉球の船造りという工芸史に新知見をもたらす。
第6章「琉球王国時代の沈没船遺跡と積載された沖縄陶器」では、近世琉球王国時代の沈没船遺跡と積載されていた沖縄陶器の組成に焦点をあてた。確認された沈没船遺跡7ヶ所の内、5遺跡はすべて沖縄陶器を主体的に積載していた。琉球列島を航行する船の積荷は中国陶磁器が主体となる時代から沖縄陶器が主体となる時代へと変わったことが明らかとなった。
これまでの沖縄陶器の編年研究は甕や摺鉢など個々の器種に特化したものであり、当該時期の全体的な組成で編年できるものではなかったが、沖縄陶器を積載した沈没船遺跡群の発見によって個々に与えられていた編年と共伴関係となる組成を明らかにできた。
第7章「西欧列強の沈没船遺跡と現代社会への影響」では、西欧の沈没船遺跡を対象とした。琉球列島では7ヶ所確認でき、その内、イギリス船が5ヶ所と西欧船の主体を占めることがわかった。年代はすべて18世紀後半から19世紀後半で、西欧列強がアジアの海の植民地化を進めた時代と符合する。また、すべてに中国陶磁器が積載されており、文献からそれぞれの船の沈没年代を明らかにできたことから、多種多様な中国陶磁器群の決定的な年代を明らかにすることができた。
第8章「海の沖縄戦」は本論最後のテーマである。沖縄の海洋史を考える上で、沖縄戦を欠かすことはできない。沖縄県では政策にも重要な影響を与えている沖縄戦を、古宇利島沖に沈んでいるアメリカ海軍駆逐艦エモンズから考察した。
第9章「結論」は、沈没船遺跡から考察される琉球列島の海域史、そして沈没船遺跡に積載されていた中国・沖縄陶磁器についてまとめる。これまで消費地遺跡から出土する多種多量な中国・沖縄陶磁器は、組成や年代が不鮮明なものもあったが、沈没船遺跡の発見により、出土した中国陶磁器、沖縄陶器の組成とその年代について検討した結果、編年的位置や組成関係を明らかにできた。今後、さらなる研究成果も見込まれる。
博士論文英文要旨
A Study of Newly Discovered Shipwrecks and Their Cargo of Chinese and Okinawan Ceramics in the Ryukyu Archipelago: Towards the Reconstruction of Maritime History and Culture through Underwater Cultural Heritage
This dissertation explores the maritime history and island culture of the Ryukyu Archipelago through the study of ceramics recovered from shipwreck sites. As time capsules encapsulating single historical moments, shipwrecks provide unique opportunities to investigate ceramic assemblages that cannot be obtained from terrestrial production or consumption sites.
Chapters 1 and 2 demonstrate their capacity to establish precise contemporaneity in ceramic studies and outline the systematic survey methods applied in the Ryukyu Archipelago, which were the first to be implemented across Japan.
Chapter 3 analyses the locations and characteristics of underwater cultural heritage sites identified across the archipelago, proposing a systematic classification and examining their number and trends. 97.5% of the recorded sites yielded ceramics, demonstrating the indispensable role of underwater cultural heritage in ceramic studies. Analysis of the locations of these shipwrecks indicated that the site concentration in the Okinawan waters, in contrast to the Kagoshiman waters, as well as that maritime routes used for trade in the Ryukyu Archipelago were primarily oriented towards the East China Sea.
Chapter 4 examines shipwrecks dating from the late twelfth to early sixteenth centuries, a period when vessels heavily laden with Chinese ceramics dominated traffic along the maritime routes. Many of these wrecks date to the fourteenth and fifteenth centuries, coinciding with the prosperity of the Ryukyu Kingdom as a hub of Asian maritime trade. As assemblages, the ceramic cargoes constitute typological benchmarks for Chinese ceramic studies.
Chapter 5 investigates anchor stones identified in the Ryukyu Archipelago, and their morphological analysis reveals that those of Ryukyuan ships were modelled on Chinese examples, implying that the ship structures themselves likely emulated Chinese shipbuilding practices. This evidence provides new insights into the craft history of shipbuilding in Ryukyu.
Chapter 6 turns to the Later Ryukyu Kingdom era, marked by a transition in the
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cargoes of trading vessels from Chinese to Okinawan ceramics. The discovery of shipwreck sites yielding assemblages Okinawan ceramics clarified compositional patterns that underpin the establishment of a cross-form chronological typology.
Chapter 7 analyses wrecks of Western origin from the late eighteenth to nineteenth centuries, primarily British ships, reflecting their dominance in European colonial expansion. The associated ceramic assemblages provide secure dating for diverse Chinese ceramics, as the sinking dates of these ships have also been ascertained from documentary sources.
Chapter 8 addresses the Battle of Okinawa which is indispensable to any consideration of the maritime history of Okinawa. This chapter examines the battle through the case of the USS Emmons, a United States Navy destroyer sunk off Kouri Island, which continues to exert significant influence on public policy in Okinawa.
Finally, Chapter 9 concludes by summarising the maritime history of the Ryukyu Archipelago as revealed through shipwreck sites, together with the Chinese and Okinawan ceramics recovered from those sites. Whereas ceramics unearthed from terrestrial consumption sites had often remained unclear in terms of contemporaneous composition and dating, the discovery of shipwreck sites has clarified their chronological positions and assemblage relationships. Further research in this area is expected to yield additional insights.
論文審査の結果の要旨
片桐千亜紀氏の論文は、氏が20年以上にわたり実施してきた水中考古学の調査・研究成果に基づいて、沖縄地域の沈没船遺跡を中心とする水中文化遺産研究を集大成した内容である。
本論文は、第1章「はじめに」、第2章「研究史・研究目的・研究方法」、第3章「琉球列島における水中文化遺産の分布調査とその成果」、第4章「古琉球の沈船遺跡と積載された中国陶磁」、第5章「琉球船の構造を解き明かす鍵となるイカリ」、第6章「琉球王国時代の沈没船遺跡と積載された沖縄陶磁」、第7章「西欧列強の沈没船遺跡と現代社会への影響」、第8章「海の沖縄戦」、第9章「結論」から構成されている。
第1章では、琉球列島の地理的特性、琉球の歴史や朝貢の意味などを説明しながら、本論文の概要を述べている。
第2章では、水中考古学の学術的な特性や、海外や日本、琉球列島の水中考古学の研究史や調査方法について論じている。特に、日本国内で初めて実施された琉球列島の水中文化遺産の悉皆的調査の方法や意義について詳しく論じている。
第3章では、筆者自ら調査を行った琉球列島における水中文化遺産の分布調査の成果と遺跡の集成に基づいて、遺跡の分類や分布傾向などについて論じている。琉球列島で確認された水中文化遺産281遺跡の内、97.5%を占める274遺跡で陶磁器が確認されていることを明らかとし、陶磁器研究に水中文化遺産が欠かせないことなどについて論じている。このような悉皆的な水中文化遺産の分布調査結果による地域研究は世界的にほとんど行われておらず、意義深い成果である。
第4章では、琉球列島で発見された7ヶ所の古琉球時代の沈船遺跡に焦点をあて、各遺跡の状況、発見された陶磁器の内容を詳述し、データ化を行っている。さらに、そのデータに基づき、15世紀から16世紀初めにわたる中国陶磁の編年案を示している。これまで陸上の遺跡出土遺物から行われていた当該期の中国陶磁の編年を沈船資料によって検証した内容であり、高く評価できる。
第5章では、琉球列島で発見された碇石や鉄碇の調査研究成果を基に、碇の地域的特徴や形態の変遷、船の構造などについて論じている。その中で、碇石を装着した木製碇から全金属製碇への変遷を明らかにするとともに、琉球製碇石の詳細な分析を行い、琉球製碇石が中国製碇石を模倣していることを明らかにした。併せて、琉球船が中国船の構造を模倣している可能性を指摘している。
第6章では、琉球列島で発見された近世の沈没船遺跡に焦点をあて、各遺跡の状況、発見された陶磁器の内容を詳述しながら、壺屋陶器の編年について論じている。特に近世末期から近代初期の壺屋製陶器の施釉方法や器形の変遷を、沈船引揚げ陶磁器のデータに基づいて明らかにしたことは、高く評価できる。
第7章では、沈没年の記録が残るイギリスやドイツなどの西欧船に焦点をあて、各遺跡の状況や引揚げ遺物の状況について詳述し、18世紀後半から19世紀前半の中国陶磁について考察している。その中で、琉球列島で確認できた7艘の西欧沈没船の内、5艘がイギリス船であることを明らかにした。また、1872年に沖縄島の宜名真で沈没したイギリス船べナルス号から引揚げられた中国陶磁が、アメリカの中国人労働者の墓から発見された中国陶磁と近似することを指摘し、これらの陶磁器が中国人労働者のために運ばれた可能性があるという重要な見解を提示している。
第8章では、太平洋戦争末期に古宇利島沖で沈没したアメリカ海軍駆逐艦エモンズの調査・研究を通じて沖縄の海の戦争遺跡について論じている。特にエモンズへの特攻攻撃の状況を水中考古学の方法によって明らかとした意義は大きい。
第9章の結論では、まず本論文の各章の内容を簡潔に述べ、次いで、沈没船から発見された中国と沖縄の陶磁器の組成や編年について総括的に論じ、さらに、論文全体の総括と今後の研究への展望について述べている。
審査委員全員に共通する意見は、筆者自身が調査した一次資料に基づく精緻な研究内容であり、沖縄の水中考古学の成果を総括的にまとめた論文として、独自性や学術意義が極めて高いというものであった。また、ただ単に総括的にまとめるだけでなく、各章の個別の内容もしっかりと論じられており、周辺研究分野にも影響力があるという意見も出された。一方で、第8章のアメリカ海軍駆逐艦エモンズの調査・研究部分は無くてもよいのではないかという意見もあった。
審査委員会では、及第点は85点以上であることを確認した上で各委員が個別に採点を行い、その集計を平均したところ90.5点となった。以上の評価を総合して、本論文は琉球列島の沈船遺跡の網羅的かつ総括的な研究として価値が高く、博士の学位に相応しい内容であることを確認し、合格と判定した。
最終試験結果
最終試験(口述)(日時:1月13日 13:30~14:50 場所:附属図書・芸術資料館多目的室)
最終試験は、まず主査である森達也が司会を行なうことを確認し、審査委員全員を紹介した。次に申請者が論文の概要を口頭で説明した(約10分)。
続いて審査委員が一人ずつ提出論文について感想や意見を述べながら質疑を行い、申請者が審査委員一人ずつの質問に対して回答を行った。
審査委員から提示された質問は以下のような内容であった。
これまでの研究史の中で本論文はどのような位置を占めるのか、新規性はどこにあるのか、冒頭では「人類史」が語られ結語では「海事考古学」が語られているがどちらに力点があるのか、『正保国絵図』が用いられているが資料批判が不足しているのではないか、近世ではなぜイギリス船が多いのか、第5章のイカリを論ずる部分ではなぜ伝聞資料が多いのか、『中山伝信録』に記載の大平山船をどのように位置付けるか、中国の宋代の碇石と琉球の明代相当の碇石の比較にはギャップがあるのではないか、などの質問が提示された。
こうした質問の大部分に対して申請者は的確な回答を行なっており、申請者が当該研究に関して深い知見を有していることが示された。また、審査委員からは、全体がわかりやすくまとまっている、一次資料による研究であり高く評価できる、沖縄水中考古学に関するこれまでにない総合的な研究内容である、水中という新たなフィールドを開拓しており陸と海を対比的に扱っているところが評価できる、などの高い評価が示された。
一方で、目次に章と節しか記載されておらず項以下が無い、図版番号のずれがある、船の絵図などをもっと多用すべき、他の「絵図」も検討すべき、エモンズの部分は不要ではないか、沖縄の水中考古学の学史が簡単すぎる、論文名を再検討すべき、などの意見が提示された。
最終試験(口頭)では、質疑応答を通じて、申請者が当該研究に関する総合的な知見、理解、及び相応の研究能力を有していることを確認した。
最終試験(口頭)終了後、直ちに審査会議を開き、4人の委員から提出された素点を集計し、平均した結果89.2点となり、最終試験(口頭)の成績が合格点である85点を超えていた。
総合判定
論文及び最終試験(口頭)のどちらの成績も合格点である85点を超えていた。そのため、審査委員会は申請者が提出した論文が博士論文等審査基準の評価基準を満たしており、博士の学位を授与するに相応しい内容であると判断し、総合判定を「合格」とした。なお、審査委員全員が、本論文は沖縄の水中考古学研究としてこれまでにない総合的かつ詳細な、価値の高い研究であると評価した。