博士論文要旨
中国陶磁器が世界各地に大量に輸出されるようになったのは8世紀末から9世紀にかけてである。東アジア海域の日本列島には同時期に既に少なくない中国陶磁器が輸入されていた。一方で、南西諸島ではほとんど見られなかった。九州に中国陶磁器が大量に輸入されるようになったのは11世紀半ばになってからであり、さらに南下して宮古・八重山諸島に至るまで中国陶磁器が輸入されるようになった。しかし、南西諸島の中国陶磁器は必ずしも北から輸入されたわけではない。少なくとも13世紀半ばには中国との直接貿易の痕跡が見られ、その後、朝貢貿易や中継貿易が盛んになった。だが、こうした陶磁器の流通経路や貿易の仕組みがどのように移り変わったのかについては、未だ不明な点が多い。
これまで数少ない研究者がこのテーマに注目してきたが、それらは南西諸島と日本列島との比較検討にとどまっていた。一方、隣接の台湾やその周辺の島嶼、例えば馬祖列島や澎湖諸島などは、南西諸島の南部と地理的に近く、同一の流通圏に属している可能性を疑わずにはいられない。しかしながら、これまで三つの地域を統合した研究はほとんど行われなかった。本稿では、中国陶磁が大量に輸出された9世紀から琉球朝貢貿易が始まる14世紀後半まで、東アジア海域の島々がどのような陶磁貿易に参加し、どのような流通圏に属していたのか、そして貿易陶磁が地域社会にどのような影響を与えたのかを、南西諸島、台湾及び九州の出土資料を用いて探究する。異なる空間・時間スケールの比較研究を通じて、東アジア海域における貿易活動と交流・流通圏を明らかにする。交換、交易、貿易といった異なるレベルの活動を含み、それらの関係は複雑かつ重層であることを示す。各章の内容は以下のとおりである。
第1章「序論」では、本研究の目的を説明し、研究対象の空間的・時間的範囲を定義する。これまで、東アジア海域における貿易活動に関する研究は、空間的範囲が国家の領土範囲によって限定されることがほとんどであるため、本稿では台湾を南西諸島や九州と併せて考察する。
第2章「南西諸島から出土した貿易陶磁」では、まず南西諸島の貿易陶磁研究における様々なテーマや研究アプローチを整理する。貿易陶磁に反映された外来文化(ヤマト・中国)の影響が琉球王国の成立につながった論述が主流であったが、ここでは、交易活動自体を研究の焦点とする。主要な陶磁器の流通状況を把握することに加え、本章では特殊品の分布に重点を置き、それを通じて陶磁器の流通経路に関する考察を深める。さらに、南西諸島の各島を個別の単位として捉え、島と島、島群と島群間の繋がり、物の移動といったボトムアップ的な視点から、島々における人々の主体性をより深く捉える。
第3章「台湾本島から出土した貿易陶磁」では、現時点で台湾において確認できる全ての出土陶磁を網羅し、それに基づいて分析を行う。ここで、台湾島を均一で一つの島として捉えるのではなく、各地域に分解して把握する。台湾北部は馬祖列島や宮古・八重山諸島と同じ流通圏として捉え、西海岸中部は澎湖諸島と台湾海峡を行き来する中国国内外の貿易航路と関連し、西海岸南部は東南アジアへの貿易航路と関連することを明らかにする。
第4章「馬祖列島から出土した貿易陶磁」では、中国国内輸送の沿岸航路と日本や南西諸島への貿易航路の交差点に位置する馬祖列島について論じる。11世紀中頃以降、日本各地や南西諸島に流通した白磁と、13世紀中頃以降、南西諸島のみで大量に出土した2種類の福建産粗製陶磁が、この島で大量に出土している。これにより、南西諸島における中国陶磁の北から南へ、あるいは南から北への輸入ルートがいずれも、この地と深く関わったことを示している。一方、白磁水注などの中・大型品の分布傾向が他の器種とは異なっていることから、前述の流通経路とは別に、複数の短距離の小さな流通経路が存在していたことが示唆され、両者の間には時間的な変化が反映されている可能性がある。
第5章「澎湖諸島から出土した貿易陶磁」では、「貿易」以外の事例として、いわゆる漢人移民集落の出現について、大陸南東沿岸部と台湾西海岸中部との関係を考察する。
第6章「その他の地域と沈没船」では、これまで研究者の注目を集めてきた博多遺跡群など大規模貿易拠点に立ち返り、また、タイムカプセル的性質を持つ沈没船資料と対照することによって、かつて中心ではない「周辺」と捉えられた上記の地域が実際には規模の異なる交易流通圏に属することがわかり、貿易活動の重層性がより鮮明になることが明らかになる。
第7章「結論」では、台湾と南西諸島の貿易陶磁器の状況をまとめ、中でも中・大型陶磁器の検討を含め、貿易陶磁流通圏の復元を通して、9世紀から14世紀にかけての東アジア海域における貿易活動を再構築する。
博士論文英文要旨
Trade Ceramics in Kyushu, Ryukyu Islands, and Taiwan
from the Ninth to Fourteenth Centuries
From the late 8th to 9th centuries, Chinese ceramics began to be exported overseas in large quantities. The period spanning from this time until the late 14th century, when the Ming Dynasty implemented maritime restrictions and developed tribute trade, has drawn considerable scholarly interest regarding the circulation of trade ceramics and the movement of people across the East Asian seas. However, even within the same maritime region encompassing Japan, the Ryukyu Islands, and Taiwan, research has been conducted separately in each area; comprehensive studies integrating all three have been extremely rare. Studying the three areas in isolation risks limiting our understanding of the wider picture, potentially obscuring the extent to which they functioned as part of a single connected maritime system.
This thesis attempts to reconstruct the complex, multi-layered activities of exchange and trade of this period by reading the three areas relationally rather than in isolation. Through comparative analysis of trade ceramics, in particular those referred to here as “special items”—types of ware that are relatively scarce compared to the predominant bowls and plates and have received less attention in discussions of material circulation—unearthed in the Ryukyu Islands and Taiwan, alongside shipwreck materials and the trade ceramics from the Hakata archaeological sites, a key Japanese trade hub, it traces how trade routes formed, shifted, and overlapped across six centuries.
In 9th century Japan, Chinese ceramics were primarily introduced through a small number of individuals, such as Chinese merchants and monks. Meanwhile, in Southeast Asia, active Islamic merchants transported ceramics throughout Asia, some entering Taiwan via regional distribution networks. In the 10th century, changes occurred in China’s trade and ceramic production structures. Traces of domestic transport ships appeared along the Taiwan and Penghu coasts, but in the Ryukyu Islands, only the northern regions with close ties to Japan obtained Chinese ceramics.
From the 11th century, Japan’s trade structure shifted significantly and China’s ceramic industry entered a new phase. Large quantities of Chinese ceramics were imported into Kyushu and transported further south, reaching the entire Ryukyu Islands, while Taiwan entered a period of stagnation. However, the emergence of the Tapenkeng site in northern Taiwan revealed diverse trade ceramics, showing distinct characteristics clearly different from the surrounding areas and the Ryukyu Islands.
From the late 12th century, alongside the traditional import routes, a new route opened northward from China to Japan via the Ryukyu Islands. Analysis of “special items” such as four-ring jars suggests this route likely did not originate solely in Fuzhou, and analysis of covered boxes indicates the formation of small-scale circulation zones across different regions.
The limited distribution of two Fujian ceramic types in the Ryukyu Islands after the late 13th century, along with the discovery of the same types in the Matsu Islands and northern Taiwan, demonstrates a stable trade route from Fujian through the Matsu Islands and northern Taiwan to the Ryukyu Islands. Meanwhile, in the central region of Taiwan’s west coast, a ceramics distribution network took shape that would outlast even the late 14th century maritime ban.
Although many of these interpretations remain hypothetical, the larger picture is clear: trade ceramics moved across the East Asian maritime region from the 9th to 14th centuries not through a single centralized structure, but by multiple overlapping networks of varying scales. Reading the three areas together, and tracing special items alongside everyday wares, brings these smaller networks into view where region-by-region studies overlook them.
論文審査の結果の要旨
申請者の論文は、九州、南西諸島、台湾を包括する地域を中心とした東アジア地域の9~14世紀の陶磁貿易と人々の交流の実態を、各地の遺跡から出土した陶磁器の分析を通じて探求した内容である。
本論文は、「はじめに」、第1章「序論」、第2章「南西諸島から出土した貿易陶磁」、第3章「台湾本島から出土した貿易陶磁」、第4章「馬祖列島から出土した貿易陶磁」、第5章「澎湖諸島から出土した貿易陶磁」、第6章「その他の地域と沈没船」、第7章「結論」、「おわりに」から構成されている。
「はじめに」では、研究目的と論文の全体的な内容を簡潔に述べている。
第1章では、9世紀から14世紀にかけての東アジア海域における陶磁器貿易と人の交流を明らかにするという研究目的を示し、研究対象の空間的範囲が南西諸島、九州、台湾を含む地域であり、時間的範囲が9世紀から14世紀であることを示した。さらに、日本、台湾、中国の全体的な先行研究を簡潔に述べた上で、地域ごとに陶磁器の出土状況を把握し、その上で包括的に分析・考察を行うという研究方法を述べている。
第2章では、まず南西諸島地域での貿易陶磁の研究史を整理し、本論文の骨子となる磁器の「特殊品(壺、水注、梅瓶、合子など)」の出土状況を重点的に分析するという研究方法について述べている。碗・皿を中心とした全体的な陶磁器出土状況を分析するとともに、南西諸島では本論文で取り扱った319ヶ所の遺跡の内、53ヶ所で特殊品が出土しているという分布状況を明らかとした。さらに、特殊品には南西諸島全域に分布する器種と南西諸島の北半部や南半部に分布が限定される器種があることを明らかにした。この内容は、先行研究では全く示されたことがない独自の見解である。
第3章では、まず台湾本土で出土した中国陶磁器の研究史を整理し、次に申請者による実見調査に基づいて出土状況の全容を詳細にデータ化している。さらに、このデータに基づき、当該地域の陶磁器貿易の出土状況の変遷を、9世紀、10世紀、11世紀~12世紀中頃、12世紀後半~13世紀前半、13世紀後半~14世紀の5段階に分けて論じている。台湾出土の中国陶磁をこのように詳細に時期区分して論じた例はこれまでに無い。
第4章では、まず馬祖列島での貿易陶磁の研究史を整理し、次いで、申請者らが採集した陶磁器を中心に馬祖列島での陶磁器の分布状況についてデータ化を行っている。さらに、このデータに基づき馬祖港の陶磁器出土状況は福州との地縁関係によってもたらされた国内流通の様相を示すと結論付けている。
第5章では、まず澎湖諸島での貿易陶磁の研究史を整理し、次いで、申請者が自ら採集した陶磁器を中心に澎湖諸島で発見された中国陶磁のデータ化を行っている。このデータに基づき、澎湖諸島が宋元時代の貿易中継地であった可能性は低く、偶発的な停泊・寄港地として利用された可能性があることを指摘した。これまでの先行研究とは異なる新たな見解の提示であり意義深い。
第6章では、九州博多の陶磁器出土状況を簡潔にまとめ、次にアジア地域の主要な沈没船の引揚げ陶磁器をデータ化している。また、目的地、航路、規模、性格などが異なる船が輸送した貨物の構成要素の違いを明らかにしている。
第7章では、第2章から第6章の研究に基づき、当該地区の陶磁貿易の特性や流通ルートについて論じている。その中で、この地域の陶磁貿易が単純な構造ではなく、小さな地域圏が重なり、複層的で多彩な様相を示すことを明らかとしている。この結論は先行研究には見られない独自の見解であり、高く評価された。
「おわりに」では、本論文での研究成果を再度簡潔に総括している。
本論文に対する審査委員の意見は、今まで誰も試みたことがない当該地域を俯瞰した陶磁貿易の研究であり、研究方法の独自性や新規性などが高く評価できるというものであった。研究史もしっかりまとめられており、ぜひ出版して多くの研究者に読んでもらいたいという意見も出された。
審査委員会では、及第点は85点以上であることを確認した上で、4人の委員から提出された素点を集計し、平均した結果、論文審査の平均点数は91.5点となった。以上の評価を総合して、東アジア地域を俯瞰した陶磁貿易研究として価値が高く、博士の学位に相応しい内容であることを確認し、合格と判定した。
最終試験結果
最終試験(口述)(日時:1月12日 10:00~11:50 場所:一般教育棟3階302教室)
最終試験は、まず主査である森 達也が司会を行うことを確認し、審査委員全員を紹介した。次に申請者が論文の概要を口頭で説明した(約10分)。
続いて審査委員が一人ずつ提出論文について感想や意見を述べながら質疑を行い、申請者が審査委員一人ずつの質問に対して回答を行った。
審査委員からの質問は以下のような内容であった。
本論文は当該分野の学史の中でどのように位置付けられるか、その新規性はどこにあるか、なぜ「はじめに」と「おわりに」を設けたのか、目次で節以下が省略されているのはなぜか、実際に実見調査を行った陶磁器はどこのものか、なぜ媽祖の伝説を根拠として論じたのか、他者からの教示を根拠としている部分があるのはなぜか、特殊品と褐釉陶器の分布に関係はあるのか、台湾での褐釉陶器の出土状況はどのようであるか、白磁四耳壺が日本人好みであるという根拠はどこにあるか、などの内容が提示された。
上記のような質問の大部分に申請者は的確な回答を行っており、申請者が当該分野の研究に関して深い知見と洞察を有していることが示された。
また、審査委員からは、この地域全体の陶磁器流通を総括的に研究したのは初めての試みである、特殊品に焦点を当てている点は独自性と新規性が高い、これだけの資料を収集し分析した意義は大きい、この地域の陶磁流通の多様性が示されたことがこれまでの研究にはない優れた部分である、などの高い評価が示された。
一方で、図が後ろにまとめられていて読みにくい、窯の説明や陶磁器の同定根拠をもっときちんと示すべき、分布図を提示した方がよい、第6章の沈船部分をもっと前の方に置いた方がよい、などの意見も示された。
最終試験(口述)では、質疑応答を通じて、申請者が当該研究に関する総合的な理解、知見、及び高い研究能力を有していることが確認できた。
最終試験(口述)終了後、審査会議を開き、4人の委員から提出された素点を集計し、平均した結果92.7点となり、最終試験(口述)の成績が合格点である85点を超えていた。
総合判定
論文の成績は91.5点、最終試験(口述)の成績は92.7点で、どちらの成績も合格点である85点を超えていた。そのため、審査委員会は申請者が提出した論文が博士論文等審査基準の評価基準を満たしており、博士の学位を授与するに相応しい内容であると判断し、総合判定を「合格」とした。
なお、審査委員全員が、本論文は貿易陶磁器研究に関する優れた内容であり、その独自性や新規性が高く評価できるとした。